たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

2024上半期 印象に残った本

梅雨も明けぬというのに続いた連日の猛暑、というか酷暑。
今日は気温も30度を下回り、ほっとひと息。
降ったり止んだり、時折激しく降る雨は梅雨末期?
こんな天気では庭仕事も出来ないので、上半期に読んだ本で印象に残ったものを記しておこうと思う。

はてなのお題では6月に上半期うんぬんが出ていたけれど、いや、まだ上半期終わってないしとスルーしちゃった。

2024年の1月〜6月に読んだ本は62冊。

booklog.jp

村山由佳『雪のなまえ』に始まり、途中、畠中恵さんの時代小説シリーズにハマりつつ、敬遠していた村上春樹さんのエッセイを読んだり、初めて読む作家さんも何人かあって、なかなか充実した読書ライフだったと思う。

その中で特に印象に残った本を数冊。
ベスト5に絞りたかったけれど、ベスト7になりました。

しろがねの葉 千草茜

上半期ダントツ一位。

はじめての千早茜さん。

戦国末期の石見銀山が舞台。
よりよい暮らしを求め、祖母を置き去りにして村を出奔しようとした家族が村人たちに捕まり、ただ一人山の中を逃げたウメ。天才山師喜兵衛に拾われた少女ウメがそこで生き抜いていく物語で、もうそれはワクワクしながら読んだ。一気読み。

世界遺産登録された石見銀山を知ってはいるが、行ったことはなく、過酷な労働を強いられていただろうとは思うけれど、これほどとは。わたしの貧弱な想像以上の言語に絶するような労働や暮らしだったんだろうと心を馳せる。

今でこそ、児童労働は違法で虐待であるが、昔はそうではなかった。子どもながらに一人前の働き手になることでその社会で認められ生きて行くことができた。

作中、出雲の阿国と思われる踊り手が登場する。以前読んだ有吉佐和子さんの『出雲の阿国』がとても面白くて強く印象に残っており、なんだか嬉しくなってしまった。

やがてウメは銀山の中に入ることを止めるが、それでも銀山と離れては生きていけない。山で長年働く男たちは職業病に体を蝕まれ、若くして亡くなって行く。働けなくなり小屋の中で寝付いているウメの夫とウメの会話が切ない。

時代と共に伝統は蔑ろにされ銀山のあり方も変わって行く。
でも変わらないのは生きようとする人の逞しさだ。
人が生きる、その熱量がひしひしと感じられる作品だった。

出来ることなら見てみたい、しろがねの葉。

無人島のふたり 山本文緒

図書館の予約待ちをし、ようやく順番が巡ってきた一冊。
初めての山本文緒さんが小説ではなく闘病日記って。。と思ったが、そういう出会いもあるのだ。

コロナが流行り始めた2020年の春に、父を末期癌で亡くしているので、他人事のような気がせず、癌と生きている当人の思いを知りたいと手に取った。

2021年4月にステージ4bの膵臓癌と診断され、一度は抗がん剤治療を受けるが「地獄」の副作用で癌で死ぬより抗がん剤で死んでしまうと思い、緩和ケアへ進んだ。5月下旬から10月4日までの日記。

良くなったり悪くなったりしながら病が身体を蝕んでいく、出来ることが減っていく。

亡き父は認知症でもあったから、癌の進行をどのように受け止めていたのかな。山本さんのように意識がはっきりした状態よりも楽なのか、辛いのか、考えながら読んでいた。

9月28日の日記に『痛い、つらい、気持ちが悪い、むくみなどはありません。でも何だか自分が変になってきているという感覚はある。』とあり、亡き父も、癌ではないけれど介護施設にいる母も、そう感じた時期はあったと思う。

そして最後の10月4日の日記。
ある意味、とても怖かった。
亡き父の様子が思い浮かんだ。

でも、怖いと感じるのは、とりあえず健康な身体を持ち、この物質世界で生きていて、どのくらい続くか分からないけれど、終わりが見えない中で生き続けて行かなくてはいけない、という立ち位置から見たからなのかも知れない。

山本さんが次に書こうと構想していた、『今の日本の中にいる無国籍の女性の話』、『ばにらさま』収録の「20×20」という短編に出てきた純文学作家崩れの女の人が主人公の連作短編集、読みたかったな。

自転しながら公転する 山本文緒

闘病エッセイを読んでからの、小説。
どういう意味だろうと題名にも惹かれた。

ただ、恋愛小説は苦手だ。昔、そう、恋愛をしていた頃は山田詠美さんが愛読書でありバイブルでもあったのに、いつしか恋愛ものは苦手になってた。

この物語も、読み始めてあぁ恋愛小説なのかとちょっとぐったりしたが、それだけではないことに気づきどんどん読めた。

それはたぶん主人公都の母親が抱える重度の更年期障害、特に更年期鬱にひどく共感したからだ。わたし自身、それが更年期障害であること、更年期鬱であることに何年も気づかず苦しんだから。

この本を読んで、自分の40代〜50代の母親が以前とは様子が違うと感じ嫌悪感を抱いている若い方がいたら、もしかしたらお母さんは更年期障害で苦しんでいるのかも、と気づいてくれたらいいなと思った。

物語は都と母親の桃枝の視点から語られ、父親はその先に透けて見えている感じだ。

都の恋人の貫一は最初掴みどころがなく、その場しのぎで信用出来ない、いけすかない男だと嫌悪感があったが、そんな風にしか生きてこれなかった事情があった。

誰にでも事情があって、自分の中ででも言葉にできない想いがあったりする。
時には想いがすれ違い、溢れ出て爆発したり、でも交差して分かりあったり。

わたしは今までこんなふうに、心から人と深く関わり合ったこと、あったかな。ない、と思った。面倒なことは嫌とばかりに、いつも慎重に避けて来てしまった気がする。

都も、貫一も、桃子も、父親もみんな一生懸命だ。

私たちみんな、みんな一生懸命なんだ。

自分の人生を手探りで懸命に生きながらも、他の人の人生にも影響し合って私たちは生きていく。
それが「自転しながら公転する」っていう意味なんだと思った。

都はこんがらがった貫一への想いを確かめるために、生まれて初めて災害ボランティアへ行く。彼女は自分を身も心も弱いと嘆くが、とんでもない、強くなければ行けないと思った。ちゃんと向き合おうとした彼女は、強い人だ。

人と議論したり、時には喧嘩になったり、ちゃんと関わりあうことに臆病になってはいけないと反省した。

読後は晴れやかな気持ち。

星のように離れて雨のように散った 島本理生

初めての島本理生さん。
山本文緒さんの最後のエッセイで良く書かれていて興味を持った。

幼い頃に失踪した父親がいるとか、院生で「銀河鉄道の夜」を研究しているとかにも惹かれた。

読み終わっての素直な感想は、『難しかった』。

何が難しかったのか。

難しかったことその1、「銀河鉄道の夜」を読んでいなかったこと。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は知っている。学生の頃、そのロマンチックな題名から手に取ったこともある。現に文庫本が本棚に眠っている。だが、物語について何も覚えていないから、その当時の私には難しくて途中で放棄してしまったんだと思う。

ただ、この物語は「銀河鉄道の夜」を読んでなくても十分面白かったし、引き込まれた。けれど、「銀河鉄道の夜」をちゃんと読んでからこの物語を読んだらもっともっと没頭出来たのかなと思う。

難しかったことその2、主人公である「春」の心の動きに着いていけなかったこと。たぶん私は大雑把で鈍いから。笑

着いていけず理解出来なかったけれど、春は嫌いじゃない。むしろ彼女の危うさが魅力的に感じた。
春を取り巻く院生の友達や、バイトで秘書をすることになった作家の吉沢も人間臭くて魅力的で良かった。

恋愛小説のようであって、そうでもない。このような小説は長年敬遠していたけれど、もっと読みたくなった。

銀河鉄道の夜」を読んでから再読してみたい。

川のほとりに立つ者は 寺地はるな

初めての寺地はるなさん。
題名に惹かれ、あらすじを読んでますます惹かれ、読み始めた。

題名から連想しているのだろうけど、読んでいる間ずっと、清らかな水の流れを感じていた。流れの底にあるいろいろな形や色をした石。

本来「人」は一人一人全く違う存在であるのに、”今の自分には当たり前のこと”は、他の人にも当たり前に備わっているもんだと思ってしまう。

ある一面を見てその人全部を知ったような気持ちになってしまったり、一般的に『善きこと』をした場合、感謝されるのが当たり前と思ったり。

時には自分の当たり前な言葉や言動が、人を傷つけてしまうこともある。
でもまた、その逆もある。
だからといって、生きるのに臆病になってはいけない。

誠意を持って自分や人と向き合い生きていきたい。

ひとりひとりの想いや行いは、小さな、取るに足りないものだけれど、時を超え場所を超えてさざ波を起こすことだってある。

そのさざ波がいつしか共鳴し合い、大きな波になって、人それぞれが生きやすい世界になれば良いと強く願いが心に生まれた。

辺境・近境 村上春樹

村上春樹さんのエッセイは、以前別の本を手に取り、あまりにつまらなくて(失礼)挫折した経験がある。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は大変に面白くて、のめり込むように読んだけれど、ブーム?になった「ノルウェイの森」はいたって退屈で、この物語の良さが全然分からなかった。たぶんわたしが若過ぎたんだ思う。

そんな苦手意識のある著者のこの本を手にしたのは、題名とカバー写真に気を惹かれたから。パラパラっと軽く文字を追うと、わたしにも面白く読めそうだ。

発行が1998年だから、村上さんのかなり昔の作品ということになる。
案に相違して、読みやすく、とても面白かった。
読みやすいのに驚いた。笑

印象に残ったのは、メキシコ大旅行と、カバー写真にもなった、ノモンハン鉄の墓場。

特にノモンハンは、著者がずっと熱い興味を持っていた土地で、その歴史など分かりやすく解説もしてくれている。

中国で日本が戦争を行なったこと、満州国という国を半ば無理やり作ったこと、中国の人々を兵隊・民間人区別なく虐殺していること、戦争に負けてソビエト軍に辛酸を舐めさせられたこと、くらいはなんとなく知っている。

著者の考察も鋭いし、分かりやすい。

日本独特の戦争観=世界観がノモンハンの4ヶ月弱の局地戦でソビエト軍に完膚なきまでに撃破され蹂躙されたにも関わらず、軍指導者はそこからほとんど何一つとして教訓を学びとらなかったこと。結果として太平洋戦争では二百万人を越す兵士が戦死した。

消耗品として極めて効率悪く殺されていった、という表現が、深く突き刺さる。

日本軍はノモンハンの要塞を作るために強制的に地元の人を働かせ、口封じにその後殺した。その人数ははっきりとしないが、一万人であっても二千人であるにしろ、その数字の変化によって今ここにある自体の本質が大きく変わる物ではない、との言及にも唸った。

うっすら感じていたこと、言語化できていなかったことが、はっきり言葉になった。
評価の高い作家さんって、こういう側面も持つからこそなんだな。

面白かったのは、モンゴルの解放軍の招待所のトイレが悲惨な状態になっていたところ。インド旅行でのトイレ状況を思い出した。

アメリカ大陸を車で横断した話しは、片岡義雄さんの世界を彷彿とさせた。

香川で讃岐うどんを食べまくった話には笑った。
ディープなうどん屋さん、今もあるのかな。

村上春樹さんを敬遠する気持ちが少し和らいだ。

ライオンのおやつ 小川糸

ずっと読みたいと思いつつ、積読になっていた一冊。
4年前に父を末期癌で亡くし、生々しさが消えず、手に取れなかった。
ようやく読むことが出来た。

若くして癌にかかり余命宣告を受けた雫は、東京から遠く離れた瀬戸内の島のホスピス「ライオンの家」で残りの時間を過ごすことに決めた。
クリスマスの日に島に到着してから雫が旅立つまでの日々が丁寧に描かれている。

こんなホスピスが本当にあったらいいな、というのが最初の感想。

少しずつ、少しずつ、雫の体調が悪化していく様子が、父と重なった。
父も、こんな気持ちだったのかな。
どんな想いでいたのだろう。

知りたいけれど、絶対知ることの出来ないことがある。
でもこの物語を読むことで少し、想像出来て、少し、父に寄り添えたような気がした。

ホスピスでは毎週日曜日に、入居者がリクエスト出来るおやつの時間がある。
それぞれにおやつへの思い出や想い入れがたっぷりある。

何一つ蔑ろにしない、軽んじない
どの生命も区別しない

当たり前のことだけれど、分かっているのに無意識に差別してしまうこともある。
ライオンの家の人々が入居者に徹底的に寄り添うのは、自分自身をまず大切にしているからだと思った。自分自身を大切に思えるから、目の前の人にも同じように大切に出来るんだ。

死が近づくにつれ、以前出来たことが出来なくなっていくにつれ、雫の心も変化していく。
出来なくなったこと、もう行けない場所がどんどん増えていくが、でもそれらはもうすでにここに存在していたこと、共に在ることに気づいていく。

わたしが20年ほど親しんでいるYOGAやここ数年学んでいるヴェーダーンタで繰り返し気づくことと同じであることに驚いた。
あぁそういうものだよね。

ページが薄くなるにつれ、気づくと涙が流れていた。
悲しいような、切ないような、それでいて心が温かくて自然に溢れ出たような涙だった。

一人で生きていると思っていても、目に見えないたくさんの様々な存在がわたしたちを支えてくれている。
父が亡くなった時、父の苦労や想いは一体何だったの、全て無駄になってしまったの、父の一生って何だったの、と苦しい気持ちが長いこと胸の真ん中でもやもやしていた。
でも今はもうそれも晴れた。

父という存在は、肉体という物質的な形が無くなっても、この世界に遍在しているのだ。父はそこにも、ここにも、この世界のあらゆるところに、何よりわたしの心の中にはっきりと存在して、わたしを支え護ってくれている。

この物語を読んで、その想いをさらに強くした。
読めて、良かった。

 

 

 

 

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