たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

波音瞑想

お墓参りの後は海に出た。

平日の静かな海で潮騒を聞きながら、しばらくぼんやり過ごしたい。

火曜日の夜から体調がすぐれず、久々にぐったりしていた。
低周波の頭痛が続き、首〜頭がパンパンに強張り、眼精疲労、脳がバグを起こして無駄にフル回転している感じ。めちゃくちゃかったるい。

体調が悪くなる兆しなんてちょっともなかったのに、人の体は神秘だ。
具合が悪くなる、スイッチの切り替わりを感じた瞬間は確かにあった。
ホットヨガのパワフル系のレッスン後、ほぐす系のレッスンの途中だった。

今ハマっている東洋医学、陰陽五行説によると、多分これは『肝』の弱り。
弱っているところに、夜に「よく動くパワフル系のホットヨガ」なんぞしちゃったものだから氣が上がりすぎてしまったんだと思う。

花粉症で口呼吸だったし。しかも2コマ続けてだったし。

なるほど『肝』の弱りで症状として現れるのが頭痛、身体の強張り、目の疲れ、疲労感。

一日寝ても回復せず、こんな時こそゆるめに身体を動かして、海で深呼吸だ。

春の海 ひねもす のたりのたりかな

この日はWBCの決勝戦だったからか、お昼過ぎまで浜辺の人はまばらだった。

ぼんやりしたり、本を読んだり、寝っ転がって空を眺めたり。

熱い珈琲とともに

そのBGMにはずっと波の音があって、脳や身体を綺麗に洗い流してくれているような気がした。

 

ホットヨガも常温のヨガもわたしにとって大切なメンテの場。
これからホット2コマの時は、2コマめはグラウンディングするように意識してみよう。この時期は特に。

きっと春に心身が追いついていっていないんだと思う。
海でリセットを習慣にしたいけど、今週末から菜種梅雨という残念な予報。

 

 

お墓参り

昨日は普通に仕事だったので今日、父のお墓参りに行ってきた。

お寺さんは自宅から近い。
自転車だと15分弱のところを徒歩で。
少し遠回りをして、お気に入りの桜並木をチェックしつつ。

都内ではソメイヨシノが満開となったらしいが、この地ではまだまだ。

ようやく咲き始めた、という木もあれば

だいぶ咲いてきたね、っていう木もあり

まだ全体的には桜より枝が目立つ感じ。

花祭りの日に逝った父。
早朝の病院の渡り廊下から見えた、弱い朝陽に照らされる満開の桜が息を呑むほど美しくて、あぁ桜が父を見送ってくれていると思ったのを思い出す。

お墓には真新しいお花が供えられていて、兄家族が来てくれたんだなと分かった。父のお墓に手を合わせ、同じ敷地内にある父の父、祖父のお墓にも手を合わせた。

今日は平日なので参拝客も少なく、わたしの他に1家族だけだった。シニア女性が”xxおじさん、久しぶりね”とぼんやり突っ立っているおじさんに声をかけていた。

父の命日にまた来よう。
桜は満開を過ぎ散り始めているだろう。

桜は、散る時がいちばん好きだ。

 

まだ外せない

町でも海でも、マスクなしの人が増えてきました。

通っているヨガスタジオも、館内ではマスク着用ですがスタジオでは自由になって。

今までも、ヨガするときは苦しいので鼻出しちゃってたんですけど、堂々と外せるようになって晴々とした気分です。

でも外では不織布マスクをぴっちり装着。

そう、花粉がまだまだ飛んでいる!

洗濯物を干す前に物干し竿やベランダの手すりを拭くと、ちょっと前まで花粉がどっさり着いていましたが、最近はそんなでもありません。

そろそろ終息かしらん、と思いきや、目の痒みやモーニングアタック、鼻詰まりは相変わらずです。やれやれ。

ところが不思議と海ではマスクを外してもくしゃみは出ないんですよね。

潮の匂いを嗅ぎたいから、海へ続く道を歩きながら外す。
一瞬ちょっとムズムズっとするけれど、浜へ抜けた途端正面から風がさーっと吹いてきて、目を細めつつ春の光と潮風を浴び、うーん!と伸びをして深呼吸。
うん、大丈夫。

何故なんでしょうね。

心が関係しているんだろうなぁと、この前海を見ながら感じました。
広々とした空と海、潮風、波の音を聴きながらぼーっとする時間。
それが自律神経を整えて症状が出ないんじゃないのかな。

もっと海の近くに住んだら、もしかしたら花粉症も治ったりして。

そんな楽しい想像をしつつ、町に戻るとそそくさとマスクを装着するのでした。

 

催花雨

くったりと疲れた金曜の夜。

NHKの番組「72時間」が、パキスタンにあるアフガニスタン食堂が舞台だったので観た。9時間撮影したところで店主が怒り始める。撮影については現地のコーディネーターと話がついているはずなのだが、何が気に障ったのか。結局食堂で撮影を続行できず、アフガン通りといわれる通りで撮影をしていた。

戦火から逃れてきた人々、まるで違う文化と風習。わたしのみならず日本人には想像出来ないような複雑な事情があるんだろうな。

パキスタンアフガニスタンはいつか行ってみたい国だった。
今は無きはてなダイアリーで運営されていた大好きだったブログで見た、パキスタンアフガニスタンの荒々しくも壮大な風景が忘れられない。

英語やヒンディー語タミル語も話せるインド在住の日本人女性が、パートナーと一緒に、徒歩でしか行けないインド辺境の地や、現在は危険すぎて行けないカシミール地方やパキスタンアフガニスタンなどへ旅をした記録。旅というか探検、探求といった方が相応しい内要だった。

どの記事も写真も素晴らしくて、それこそ日々の楽しみでむさぼるように読んでいたのだが、気づいたら無くなってしまっていた。もう数年前のことだ。
どうして削除されちゃったのかな。
旅の行程、風景、食事、村の人々の暮らしなどなど、今でもまだ忘れられない。もういちど読みたいと切に思う。叶わないけれど。

徒歩でしか行けない場所が地球上には無数に存在していて、わたしが知らないその場所は、この瞬間も確かに同じ星の上に今もひっそりとあるんだなぁ
意識がぱぁーっと広がって行って、何とも壮大な不思議な気持ちになる。

そんなことを思いつつ、続けてEテレのドキュメンタリーを見始めたのだが、気持ちが重くなってしまい、こんな気持ちで眠るのは嫌だなぁとテレビを消した。

寒の戻り

トイレに立つと、薄く開けた窓からシャーっと優しげな音が聞こえた。

雨だ。

部屋に戻り窓を開けると、ひそやかな雨の音に包まれた。
やさしい、やさしい雨の音だ。

慈雨、という言葉が浮かんだ。

夜の闇にぼーっと白く浮かび上がるのはプラムの白い花。
まるで小さなぼんぼりが灯るよう。

催花雨。
花を咲かせるようにしとしと降る。

雨の匂いを嗅ぎながら、雨の音をしばらく聞いた。

少し冷えたので、ベッドに腰掛けて白湯を飲んだ。

と、お寺の鐘がごぉーんと一つだけ鳴った。

こんな時間に?

顔を上げ耳を澄ますが、もう聞こえない。

春休みに入った子どもの悪戯だったのだろうか。

 

 

ささやかな楽しみ

刻一刻と春が深まっていく今日この頃。

春から夏にかけてのこの時期は、毎朝窓を開けるのが楽しみだ。

寒さで縮こまっていたビオラが伸び伸びとしだし、土の中から球根の芽が覗く。
花木の蕾がふっくらしだし、植えっぱなしのオールドローズの枝に若葉が宿る。

2階の自室から見えるプラムの木にも白い蕾がつき、そしてある朝、開いた。

朝はひとつふたつと数えられるほどだったのに、10時を過ぎたらさらに数が増え、
昨日、ほぼ満開となった。

このプラムの木はかなりのご高齢。
それでも毎年花を咲かせ、実をつけてくれる。

果汁たっぷりの甘酸っぱいプラムは初夏の味。
今年はどれだけ収穫できるか楽しみ。

昨年12月も半ばを過ぎてからようやく植えた球根たちも次々に花芽が見えてきた。

クロッカス。
向こうに見えるのは紫陽花の若葉。

植えたのが遅かったからちゃんと育ってくれるかな?
朝、雨戸を開けてチェックするのが日課になった。

雨戸を開け、植木鉢や花壇の様子をしげしげと眺める。

チューリップ

地植えにしたヒヤシンス

鉢植えにしたヒヤシンスは花盛り

 

光が強くなる
若葉がつぎつぎと開き、草木が勢いを増す
山も笑う

これから楽しい季節が始まるね

 

2月に読んだ本

今年の2月はあっという間に過ぎたように感じた。他の月より2・3日少ないだけでこんな気持ちになるものだろうか。立ち止まってキョロキョロしちゃうみたいな。

2月は仕事に関する学びの本が加わり、後半はそちらの世界が優位となったので、それほど読めなかったなと思ったけれど、ブクログで確認してみたら6冊読了出来ていました。

風神雷神 原田マハ

お探し物は図書室まで 青山美智子著

<あの絵>のまえで 原田マハ

巨匠によって描かれた一枚の絵が、何年もの時を経て、現在に生きる人々の生きる力になる。そんな6つの短編集。

登場する絵画と美術館は
♦︎ドービニーの庭 フィンセント・ファン・ゴッホひろしま美術館蔵)
♦︎鳥籠 パブロ・ピカソ大原美術館蔵)
♦︎砂糖壺、梨とテーブルクロス ポール・セザンヌ(ポーラ美術館蔵)
♦︎オイゲニア・プリマフェージの肖像 グスタフ・クリムト豊田市美術館蔵)
♦︎白馬の森 東山魁夷(加賀の県信濃美術館・東山魁夷館蔵)
♦︎睡蓮 クロード・モネ地中美術館蔵)

読み終わってだいぶん経ってしまい、細かい部分を色々忘れてしまっている。ほやほやのうちに箇条書きでもメモしておけば良かったと反省。
でもどの話も、読み終わった後に心に灯がともったように感じたし、豊かさが満ちていた。

印象に強く残っているのは<白馬の森>の『聖夜』と、<睡蓮>の『さざなみ』。

モネの<睡蓮>はポーラ美術館で鑑賞したことがあるが、是非とも地中美術館で観てみたい。わたしはどのように感じるのか、体験してみたい。

読み終わって本を閉じ、表紙を眺めていたら英語の副題が目に入った。
『A Piece of Your LIfe』
直訳すると、”あなたの人生の一部”
はぁ〜っなるほど!とため息が出た。

一枚の絵が秘めている力を想う。
その絵画の秘めたる力に触れられるような生き方をしたいと思った。

珈琲が呼ぶ 片岡義男

本猿(id:honzaru)さんの記事で片岡義男さんの『僕は珈琲』を知り、まずはこのシリーズ?の一冊めらしい『珈琲が呼ぶ』から読んでみた。

コーヒーを切り口とした、映画や音楽、漫画、小説、喫茶店にまつわるエッセイ集。

まず驚いたのは、片岡さんは学生時代からライターの仕事を始めて今に至るということ。そんな以前から書く仕事をしてたのか!片岡義男さんの作品には学生時代、角川文庫の小説で出会ったせいか、最初から小説家として世に出ていたのだと思い込んでいた。

ライターをしたいた時代には神保町界隈や都内の喫茶店をハシゴして執筆したという。神保町やお茶の水界隈は学生時代うろうろしたけれど、そういえば喫茶店に入ったことはなかったなぁ。。ずいぶんともったいないことをしたと思う。

Googleマップでエッセイに出てくる喫茶店を検索してみた。
今もあるその喫茶店たちは雰囲気があって素晴らしい。行ってみたい。喫茶店好きな人々にはきっと有名なんだろうな。
京都や都内に住む人が羨ましくなる。ちょっと足を伸ばせば歴史ある喫茶店に行けるなんていいなぁ。

我が街には喫茶店が少ない。タリーズやスタバ、星乃珈琲店コメダなんかはあるけれど、そういうカフェも良いけれど、この本に出てくるような喫茶店は近くにない。
散歩圏内にふらっと寄ってみたくなり、はしごしたくなるような喫茶店がある街に住みたくなった。

茶店で注文して飲む珈琲は『珈琲』だけど、例えばアメリカの広大な土地に佇むダイナーならカタカナで『コーヒー』って感じがする。インスタントも。

インスタントコーヒーも、珈琲じゃなくて、『インスタントコーヒー』という飲み物だ、と割り切ればなるほどそれはそれで飲める、という片岡さんの意見になるほどと思った。

久しぶりの片岡義男
シャープでドライな文章は健在で、それこそ丁寧に淹れた珈琲を味わうように読んだ。

高校時代に出会ってハマり、かなり影響を受けた作家だ。
いつの頃からか新刊を買うこともなくなってしまったのだが、今も変わらず書き続けていると知り、嬉しくなったし驚きもした。

巻末の著者プロフィールを見ると1939年生まれ。ということは今年84歳になられる!
シャープな文章と視点はますます磨かれているように感じた。

ムーミン谷の冬

冬になると読みたくなる本。
もうだいぶ前に買った文庫本で、バーコードさえ付いてない。見たら昭和55年に発行されたものだった。

冬は冬眠するムーミンが、ムーミントロールだけ目が覚めてしまい、初めて冬の世界を知る冒険物語。

始めて知る冬の世界にムーミンは戸惑い、馴染み深い春と夏ばかりに思いを馳せる。そこにない思い出ばかりに心を向けている。
対照的に、ちびのミイは『だけど、いまは冬ですよ』と冬そのものを楽しむ。
ムーミンの気持ちも分かるけれど、ミイのように今、この瞬間を楽しむ方が人生は豊かになるよね。

冬にしか生きられない奇妙な生き物たちの奇妙な生態や、凍てついた冬の世界の描写に不思議と心癒されるのは何故だろうな。

物語は、春が来て冬眠していたムーミンたちが目覚め、春を楽しむ場面で終わる。
なので、今年は冬も終わろうかと言う2月に読んでみた。
ちょうど暖かくなってきたタイミングで、わたしの心にも春の風が吹いた。

 

 

戦火の記憶

3月10日は東京大空襲の日。

東京や日本各地が戦争時標的になったという事実を、今、どれだけの人が知るだろう。

偉そうに言うわたしだって、良くは知らない。

ただ、縁のある土地、いま自分が住む地域や周辺がどうだったのか、については知るように努めている。

そのきっかけとなったのが、義父だった。

昔、結婚して親族となった義父一族の故郷は、東京下町、深川だった。

時代小説が大好物なわたし、深川というと大好きな江戸ものの舞台となることも多く、ある種の感慨を持って訪れたものだ。

何がきっかけだったか、義父が東京大空襲の記憶を語ったのを聞いた。

昭和の時代の常で、兄弟姉妹が多かった義父の家族。
万が一の時に備えて、集合場所を決めていたそうだ。

3月10日のその日、町は大混乱に陥り、嵐のような炎から逃げ惑う人に揉まれ流されて、家族は誰一人として予め決めていた集合場所に辿り着けなかった。

それが幸運だった。

その集合場所(学校だったと思う)は猛り狂う炎に舐められ、避難した人々は助からなかった。

家族はバラバラに避難し、全員助かった。

再会出来た時はお互いに目を疑い、そして喜び合った。

あの戦火と混乱の中で、よく生き延びた。しかも全員。奇跡としか言えない。

義父が生き残ってくれたから、元夫が生まれたし、息子も生まれた。孫も産まれた。

愛らしい2歳と0歳の孫を見るたび、生命の壮大な繋がりを思う。

タイ・チェンマイのお寺

そういえば、小学生の頃、東京大空襲を描いた絵本を読んだ。

早乙女勝元さんの絵本で、その凄まじさに目も心も奪われ、絵本を読んだ日は決まって怖い夢を見た。
悪夢を見ると分かっていても、ふと思い出しては図書館で借りて読んだ。

戦争は狂気だ。

子供の頃の鮮烈な記憶と思いは、まだちゃんと心にある。