たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

蝉が鳴き始めた

連日の快晴猛暑からホッとひと息、曇り時々雨の日曜日。

朝5時からやる気満々な太陽の光は隠れているけれど、ちょっと動くと汗がじわぁっと、たちまち滝汗になる。

体が重怠くて、一通りの家事を済ませるとベッドに寝っ転がり、扇風機の風を受けながら読書をした。・・・やる気の出ない日曜日。。。どんより曇り空なら、海に行く気もしない。

と、ジーっという音が聞こえた。

ニイニイゼミだ。
やっと鳴き始めた。
今年初めての、蝉の声。

夏はもう仲夏を過ぎたけれど、ニイニイゼミの声を聞くと夏だなーって気が盛り上がる。最初はニイニイゼミアブラゼミとヒグラシは同じくらいかなぁ
ヒグラシの声というと、夏の終わりの物悲しさよ、、みたいな感じがあるけれど、この時期から夕方に鳴く。気温によっては昼間の山間部でも聞くことが出来る。

残念ながら片田舎でも山から離れた住宅地であるここら辺ではヒグラシを聞くことはないけれど。。。

あぁ、やっとの蝉の声。

今年は梅雨明けが異常に早く連日の真夏日なのに、シーンとして気持ち悪かった。まるでレイチェル・カーソンの『沈黙の春』ばりの『沈黙の夏』。

どこかで涼んでいるのか、我が家にやって来る鳥もめっきり少なくなった。シーンと静かな夏なんてホラーだわ。

そんなことを思っていたから、ニイニイゼミの鳴き声は心踊るものがある。

夏の暮らし、楽しもう。

今年はいろいろやる気が起きなくて、精神状態ちょとマズイかもと危機感を持っていたから、やる気の芽を摘まないように、楽しいこと、いろいろ考えてみよう。

そんな、7月最初の日曜日。

 

猛暑にげんなり

猛暑に爽やかなアガパンサス

異例の梅雨明け、続く猛暑に当てられて、頭がボーッとしているらしい。
気づけば新月を過ぎて水無月になっていた。

6月30日は夏越の大祓、鶴岡八幡宮の神事に参加しようと思っていたのに
午前中に予約していた整骨院で財布を忘れたことに気づき、気持ちが萎えて止めた。整骨院は毎月のことなので次月にまとめて払うことになった。

先生が「よくあることなので気にしないで」と言ってくれたものの、自分のぼんやり加減に呆れてしまう。

夏越の大祓の神事、参加したかったな。
ま、今年はそういうタイミングだったのだろう。本来は陰暦六月水無月晦日に行われるものなので、今年は7月28日がその日に該当する。一粒万倍日で天恩日で大安という目出度い日でもあるので、陰暦にのっとり7/28にお詣りに行こう。その日まで茅の輪あるといいな。。

去年の茅の輪くぐり

いつもと変わりない日常を過ごしているつもりなのに、梅雨前と梅雨明けしてからは時の加速度が増しているみたい。あっという間に7月で、今日は七十二候の半夏生だって。見た目にも涼しげな半夏生を我が庭にも迎えたいと思ってもう幾年月。忘れちゃうってことはそれほど必要ないのかもしれない。カラスビシャクはもしかしたら雑草と思って抜いてしまっているアレがそうかな、なんて写真をみて思った。来年は芽が出たら摘まずに様子を見てみよう。

それにしても暑い。

 

 

ふいのインドと昨日の収穫

片付けをしていたら、クリアファイルからインドが飛び出した。

お土産の梱包材に使ったと思われるインドの新聞と、現地で仲良くなった友達が帰国する前にくれた手紙、印刷したエアチケットの裏に書いた覚え書きなど。

見るからに不思議美しいヒンドゥー語で書かれた新聞は、何一つ読めないけれど。。。日付を見ると2014年。たぶんこれはリシケシマーケットで買ったスパイス入れを包んでいたと思う。もうインドの匂いはしない。残念。

手紙はクリーム色の封筒に入っていて、なんだろうと開けたら、感動的な手紙だった。
3年続けて秋にリシケシを訪れていた頃、ゲストハウスのお隣さんになった彼女。初めてのインド一人旅と聞き、いろいろお節介をやいたのだ。

リシケシは秋が美しいし、過ごしやすい。ガンガーの色が少しずつ透明感を持ち、ターコイズ色になる。昼間は半袖で汗ばむほどだけれど、朝晩は薄いダウンがちょうど良い。二人で行ったカフェやレストラン、タポバンやラクシュマンジュラの街並みや陽射し、路地を行き交うインド人や牛なんかがバーッと思いだされた。

色とりどりのサリーを着た女性が映るのは、どんな記事だろう。

洋服を着ている人もいるけれど、女性は圧倒的にサリーが多かった。それが素敵だな、と思ったし、行く度にわたしもサリーを作った。
着方を習って自分で着たのだけど、慣れないうちは歩いているうちに着崩れてしまうこともあり、そうなると道ゆくマダムたちが「あなた、それじゃダメよ!」と寄ってたかって直してくれる。
髪の毛が真っ直ぐで肌の色が薄い日本人がサリーを着ているのは、外国人が着物を着ているようなもので、すれ違う人々がニコニコしてくれたり、一緒に写真を撮ってくれなんて言われたり、スター気分を味わった。笑

インドで女性は肩と膝上を出すことはNGなのに、サリーはお腹が出る。そこはいいのね。さすがにおへそは出ないけど。

ゴミ拾いをする少年たちの写真が小さくあった。

インドに来てまず驚くのは、道端に落ちているゴミの多さだ。

自宅は毎朝水拭きしてピカピカに、家の前も綺麗に掃き清め
南インドではさらにコーラムという模様を描き、家族の無事と幸運を祈る。

それなのに、町を歩くと道端はゴミだらけなのだ。
このギャップはいったい。。
自分の家じゃないからどーでもいいってこと?謎。

写真家をしている友人は憂慮して、どういう経緯だったか、とある地方の学校で環境を守るワークショップを開き、その後子供達と一緒に街のゴミ拾いをした。
わたしはゴミが落ちているインドが当たり前だったので、彼女の活動にハッと目が覚めるようで、慣れてしまって他人事、問題に感じていなかった自分を恥じた。
少しずつ啓蒙活動をする人も増えて、地元の人で結成したというゴミ拾い隊がラムジュラのガンガー沿いで活動をしているのを見た時は驚いた。ようやく気づいたか、インドの人よ。

インドに行かなくなって数年。今はどうなっているんだろう。

リシケシで定宿にしていたゲストハウスのオーナーは変わり、街も激変したと聞く。

印刷したエアチケットの裏に書いた旅ルートは未だ実現出来ていない。また行きたいな。回遊したい。

 

昨日の収穫。

思ったよりもたくさん実がついている。あとまだ20個は採れそう。

このプラムは、そのまま食べるのが一番だと思ってる。

今年は梅仕事、してないな。そんな気分になれなくて。
ま、そんな年もあるか。

今年は梅仕事より、片付け優先。
スッキリした夏を迎えたい。

 

 

 

片付けに、思うこと

合間合間に片付けを続けている。

昨日は自室の雑誌エリアと、2階の和室をちょこっと。

最近めっきり買わなくなった雑誌。もう読まない雑誌が雑然と並んでいるのが風景としてそこにあって、何の違和感もなかった。怖いわ。不用品に囲まれて物の多い暮らしというのは、そんなふうに出来上がっていくんだろうな。

ちょっと頭を切り替えて違う意識と目線で見ると気づく。
不要品であること、そこに無くてもよいもの。

以前よく遊びに行っていた友人の家は、高級住宅地に建つ地下1階地上2階の立派なお屋敷なのに、今は亡きお母様が、捨てられない人、物を溜め込む人で、友人もその癖を受け継ぎ、物凄いことになっていた。

部屋という部屋に天井まで洋服やら何やらがうず高く積み上げられ、3DKのアパート一室ほどの広さがある玄関ホールも足の踏み場がなく、物を踏まないように苦労して抜けていた。玄関すら使えず、かろうじて裏口から入っていた時に比べたらだいぶん進歩だったけれど。

友人たちがちょっとずつ協力して片付けていたけれど、油断すると住人がまた物を溜め込むのでイタチごっこ。一緒に住んでいるパートナーとよく揉めていたっけ。あの家を初めて訪問した時は衝撃だった!ゴミ屋敷って本当にあるんだなって目の当たりにしたことと、由緒ある邸宅の中ってこんなふうなんだーって格式のある調度品や欄間の透彫を見て思った。

10人は座れそうなダイニングキッチンのテーブルの上は物置と化していて、拭いているのか不安になるテーブルで果物やご飯を勧められ食べた時にはかなり勇気がいった。未開の部族を訪れて敵意がないことを示し受け入れてもらうために、現地のお酒や食べ物を口にする、そんな感じ?笑

遊びに行くたびに、これはこう片付けて、これらは捨てた方がもっとスッキリ暮らしやすくなるのになーと思っていた。住人にも都合があり、思い入れがあるから、思っているだけで言わなかったけれど。

そこにあるのが当たり前で、もう景色の一部となっている。だから気づかない。

亡き親が集めた物だったり、思い出があったり、いつか使うかも、という住人の想いがずっしり乗っているものもある。執着、というんだろうなぁ
わたしも実は、亡き父がテーラーで作ったスーツを捨てられないでいる。

父の体に合わせて作ってあるので、誰の体にも合わず、誰も着ない。
1階のクローゼットに風を通すため少し開けるたびに、並んだ父のスーツが見える。
もう誰も着ないのだからいい加減、と手に取るが、このスーツを着る父の颯爽とした姿を思い出し、未だに捨てられない。

そういうものはきっと時間が解決してくれるんだろうと思う。

わたしが引っ越しして疎遠になってしまったけれど、あの家はどうなったのかなぁ
もう何年も会っていない。

家が広くて置ける場所があり過ぎて、物があり過ぎるあの家。
住人はいつも何だか疲れていて、どよーんとした空気をまとっていた。持病のせいもあるけれど、あの多すぎる物が悪影響を与えていたとしか思えない。

もっと積極的に片付けしよう!掃除するよ!って関わっていたら良かったのかなぁ
いや、そんなふうに関わって力尽きた友達がいたっけ。結局は住人の気持ち次第なんだよな。けれど気持ちが切り替わるには、ある程度物が減らないと無理な気がする。

もう要らない使わない物、あり過ぎる物は人のエネルギーを奪う。

見回すと、自室も、家全体も、一見片付いているように見えるけれど、まだまだだ。
屋根裏や1階の納戸もある。気が遠くなりそうだけど、一気にやろうとしない。コツコツ、ちょっとずつ。

ふいに入った片付けスイッチが切れないうちに、合間に片付ける癖、習慣化したいな。

 

夏支度

まさに梅雨!な天気が続き、気持ちも体もスッキリしない。
こんな時には動くのが一番!
やらなきゃやらなきゃと思いつつ出来てなかった衣替えと、自室を夏仕様に模様替えした。

まずは東側の大きな窓を拭き、簾を設置。
自室は2階の東南角部屋、我が家は少し高い位置に立っているので、夏は早朝から太陽の光が燦々と降り注ぐ。冬は暖かく、夏は灼熱。。。
簾を使ってみたら程よく太陽を遮り、しかも海の家にいる感があってまことによろし。

そしてソファとベッドの位置をチェンジ。
冬仕様だとエアコンからの風がベッドに直撃しちゃうので。

梅雨寒対策で敷きっぱなしだったホットカーペットも撤去。扇風機も出した。

大仕事なのは衣替え。もう着ない服、着倒してサヨナラする服を選別しながら替えていく。色褪せたり、もうちょっとコレはイタイわね、って服も合わせて45ℓの袋1つ分になった。もう少し冷静な目で見ればもうちょっと断捨離出来そう。

ついでに2階の納戸の昭和の遺物にも着手。
元気だった頃の母の字で「タオルセット」とか「シーツ(ゴム付き)」など書かれた埃だらけの古い箱を積み上げ、中身を確認しつつ分別。布物はたいてい茶色いシミが浮き出てゴワゴワなのでゴミ袋行き。布物の日に出す。箱は埃を拭き取り、壊して紙の日に。

実家に戻って来てから少しずつ、本当にちょっとずつ片付けている。2階の納戸はだいぶスッキリしてきた。

片付け始めたらスイッチが入り、目も片付けモードになったのか、気になっていた自室の雑誌も整理。仕事上必要なものだけ残したら、ここもスッキリした。

ミニマリストまではいかないけれど、もちょっと身軽に暮らしたい。
さっぱりスッキリ、シンプルに。身も心もね。

最大の難関は本だなぁ

 

 

夏至2022

6月21日 18時14分 地心黄経90度、日心黄経270度 夏至
光の量がピークに達するという日なのに、、どーんより。

ラベンダーの蜜を求めて飛び回る熊蜂の羽音を聞きながら、挽きたての熱い珈琲を啜っている。うすぼんやりな、夏至の朝だ。

熊蜂はこのところ毎日見る。同じ蜂なのかもしれない。ここに蜜があることを知って。
この時期、ラベンダーは次から次へと花を咲かせる。不思議と隣のペチュニアには見向きもしない。ペチュニアには蜜がないのだろうか。

熊蜂の羽音は低く、恐ろしげに聞こえるが、人を刺すことはない。
ヨガにはブラーマリープラナヤーマという蜂の呼吸法があるが、その呼吸法をするときには、この熊蜂の羽音を意識している。

蒸し暑いな。

身も心も重だるいのは、梅雨の湿気のせいだろうか。

昨日は庭の草取りを頑張って、頑張り過ぎて腰痛勃発。
夕方に腰痛対策ヨガをしたのだけど、寝る時もちょっと辛かったな。
そのせいか、眠りも細切れ。

頭もぼんやりしている。

やる気が出ない、夏至の朝。
どんより重たい体と心を持て余し、思いついて朝風呂に入る。少し熱めにして湯船にゆったり浸かる。朝風呂って何となく少し後ろめたいというか、贅沢な気分。このところシャワーだけで済ませていたけれど、湯船に浸かると体がリラックスしていくのが分かる。無意識に緊張しているんだよな。

お風呂でシャッキリ出来るかと思いきやそうでもなくて、ダル重い心身のまま淡々と家事を済ます。午後から仕事。

夜は溶岩浴ヨガ2本。やっとスッキリ、さっぱり。

雨の中を帰宅、くったりと疲れる。

去年はどんな夏至を過ごしたんだろうとほぼ日を繰る。去年もどよーんとしていたらしい。っていうか、思い出したけど毎年この時期はどよーんとしてたな。

やっぱり梅雨の湿気が原因だわ。。。

天人合一。

 

 

プラムの季節

庭のプラムが今年も熟し始めた。

冬に植木屋さんが来て強めの剪定をしたし、去年は今まで見たこともないほどたくさん実をつけ、採っても採ってもまだまだある祭状態だったので、今年はお休みかなって思ってた。

ゴールデンウィークの頃に青い実を見つけた時には嬉しかったな。

宝探し的な

ちょうど2階の窓から見下ろす位置にあるので、日に日に実が膨らんでいく様子や、だんだんと赤みを帯びていくのを楽しみに眺めていた。

隣の金柑が熟れる頃は鳥たちが入れ替わり立ち替わりやって来て、太陽をたっぷり浴びて黄色く熟れたものからついばんでしまうので競争だけれど、プラムには不思議と鳥が来ない。

無農薬だし、上から見ると赤い実が如何にも美味しそうなのに。。

夏のこの時期はプラムを狙わなくても食べ物に困らないからなんだろうな。

一昨日は手に届く範囲のを収穫して、キリリと冷たく冷やしたCAVAのお供にした。

不揃いだけど、甘〜いよ
とってもジューシー

今朝は完全武装をし、脚立を使って収穫。

とりあえずこんなとこ。

取りにくい場所にあるのを欲張って手を伸ばしたら、手前のまだ熟れていない枝が折れてしまった。。。ごめんよ〜 
熟れてないのはこのまま室温において追熟させる。

まだあと20個くらいは収穫できそう(^ ^)

この木もだいぶんお年寄りなので、今年は種から発芽させ生命を繋げてみようと思う。