たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

読書『乳と卵』川上未映子

気になっていたけれど作品を読んだことがなかった川上未映子さん。
ようやく手に取った。

『夏物語』を読もうとブクログ登録したら、前作で芥川賞受賞作品である『乳と卵』の登場人物が織りなす物語とあり、それならば、とまずはこちらから。

独特の世界にぶっ飛んだ。

長い文章なのに、すらすら読めてしまう不思議。すらすらというか、糸を手繰るように引き込まれてしまう。

文庫本は薄く、すぐ読めてしまいそうだったのに3日かかった。
途中で息苦しくなって、休まなくちゃだめだった。
だからと言って、苦手なわけじゃなく、読みたくないわけじゃなく、その先が気になって仕方ないのだが、休憩が必要だった、わたしには。

読んでいると息苦しくなって気分が重くなっていく。どろどろしている?
でもそのどろどろは「生きる」ということの重さなのかも。
人の「生」と「性」の重みなのかも。

綺麗事ばっかりじゃないのが人生で、瞬時に色々な想いが渦巻くのが人の心というか気持ちで、そういう普段忘れていること、目をそらしていることを目の前に突きつけられたような感じがした。

人が生きていく生々しさ、人間という生きもの臭さ。
そんなものを感じた。

 

ホステスをして一人娘を育てている巻子が豊胸手術に取り憑かれているのが全く分からなくて、常に頭の上に???が並んでいたし、疎ましさだけではない母親への想いを抱く緑子の繊細な心は痛々しいほどだった。

緑子と違い、わたしは自分の体が勝手に女になっていく様子になんの抵抗もなかった。むしろ楽しみしかなくて、単純に体が大人になるってことはバービー人形みたいな体型になるってことなんだと思っていた。

生理が来ることも、胸が膨らんでいくことも不思議かつ面白く、嫌悪感など全然感じなかったので、緑子の想いは驚きだった。

 

猛暑の最中に読み始め、猛暑の中で読み終えた。
舞台も熱い熱い真夏だったので、強烈な白い夏の陽光とか暑さとか流れる汗とか、実感を伴った。
物語の終盤、生卵まみれになってお互いを曝け出す様子、好きだな。

 

読んでいる最中、前にもあった、こんな感覚。ってずっと思ってた。
読んでいる時に感じる感覚。
それが何か思い出した。
兄の本棚にあった、池田満州夫さんの『エーゲ海に捧ぐ』を読んだときの感覚だ。
特に『テーブルの下の婚礼』は衝撃的に感じた。

描く世界が似ているのではなく、読んだわたしが受け取った感覚が似ていた。

これは何なのだろうな。