「土曜日、遊びに行っていい?」
息子から連絡があったのは週の初め。
仕事があるから午後3時には出かけなくちゃと伝えると、じゃあその前には帰るわ、という話になった。
下の子だけ連れてくるというので、赤ちゃん用のおやつや、新鮮なりんごを買った。擦りおろしてお昼のデザートにしよう。
息子のお昼は何がいいかな。
わたしの普段のお昼は玄米に納豆とお味噌汁とか、チーズトーストとか簡単なもの。たまに来る息子にそれはないよなぁ。前回はうどんだったので、クリームシチューにしよう。金曜日の夕ご飯に作っておけば手間もない。
久しぶりに作ったクリームシチューはとても美味しく出来た。深めのスープ皿にたっぷりよそって2杯も食べた。
明日は何時頃来るのかな、とラインするとドタキャンの返信がきた。
下の子が熱を出して、お昼ご飯ももどしてしまったらしい。
そりゃ可哀想!
子供は急に熱を出したり体調が悪くなったりするから、予定が急に変更になったって仕方ない。
一人暮らしにはたっぷり過ぎるシチューを眺め、明日の分を残し、あとは冷凍にした。
心づもりをしていた土曜日、ぽっかり空いた時間。
普段の土曜日はのんびり起きて、のんびり仕事の準備などする。
普段通りに過ごせばいいだけなのに、心に隙間風が吹いてるみたい。
気持ちの切り替えが出来てないのね。
出勤直前までお孫ちゃんと遊んで仕事の準備が出来ないのはキツイなぁという気持ちと、上の子がいないので下の子と思う存分遊べるなぁという楽しみな気持ちが交錯してた。
楽しみな気持ちの方が大きかったんだなー、わたし。
良い天気、気温もぐんぐん上がり、家事も捗る。
仕事の準備もそこそこ出来た。とそこに、仕事先から連絡。
なんとなく予感がして見ると、キャンセルの連絡だった。
うーん。。
他の契約先もそうだけど、ここ最近停滞気味。
落ち込むなぁ
落ち込んでたって仕方ない。ピンチはチャンスだ。
思い直して、いまわたしに出来ることは何かと考える。
机に向かい、小一時間ほどノートにいろいろ書き出したりして整理した。頑張ろう。
ふいに出来た自由時間。
そうだ図書館から連絡が来ていた。読み終えた本を返し、予約本を取りに行く。
読了は2冊。
群ようこさんの『れんげ荘』と、國友公司さんの『ルポ 路上生活』。
お愛想と夜更かしの日々に愛想をつかしたキョウコは大手広告代理店を早期退職し、1Kの安アパートに引っ越し、働かず月10万円で暮らし始める。
昭和レトロな古い木造アパート。以前友達が住んでいたアパートと貸家を思い出した。あの町の、こんな場所にこんな古いタイムスリップしたような場所があり家があるなんて!と驚いたものだ。その一画だけ『三丁目の夕日』の世界だった。
だったけれど、お風呂もトイレもちゃんとついていた。冬は酷寒、夏は暑いそんなレトロ物件に住んでみたいわたしではあるが、キョウコのアパートは無理かも。なにせエアコンなし、石油ストーブ禁止、共同シャワー(風呂ではない)、共同トイレなのだもの。
あえて働かないことを選んだのに、「何もしなくていい」ことに落ち着かないキョウコ。それでも少しずつ、その暮らしに慣れていく。
世間体と自分のことしか考えない母親のキョウコに対する仕打ちもすさまじく、なんかちょっと心当たりある。ここまでではなかったけれど、わが母も似たようなこと、あったな。十把一絡げにするつもりはないし、多分に性格に因るものが大きいと思うけれど、母親って娘に手厳しいのかも。
個性的な住人もよい。
若い頃遊びまくり昔の質の良いお洒落な服をたくさん持っているクマガイさん、狭い納戸に住み「旅人」が職業の若い女性コナツ。
ちょっと変わった住人と少しずつ関わりを深めながら、ちょっとずつ暮らしを楽しむようになっていくキョウコ、続きがたのしみ。
本猿さんのブログで紹介されていて、興味をもった一冊。
29歳の筆者が3ヶ月間ホームレスとなって暮らした日々のルポ。
本猿さんのように、読む前は荒れた暗い気持ちになってしまうかもと心配したが、そんな気持ちにはならなかった。するすると読めた。
わたしが想像すら出来ないような辛いこともたくさんあるだろう、けれど意外と彼らは逞しく生きている。
都内にいれば、炊き出しがあるし、冬になればボランティア団体から寝袋や防寒着をもらえたりする。
中途半端な田舎よりも大都市にたくさんホームレスがいる理由がここにある。支援が手厚いのだ。
わたし自身としては、なかなかそういうボランティア活動をしようという気持ちが起きず、はなはだ後ろめたい気持ちになった。
わたしの狭い行動範囲ではホームレスを見ない。炊き出しに遭遇したこともない。近くにないから遠い存在なのかもしれない。
が、排除建築は見たことある。
なぜこのベンチにこんな柵が?と不思議に思っていたのだが、そういうことだったのか。
インドに通っていたとき、様々な人を見た。
スラムで生活する人、路上で生活する人。
過酷な暮らしではあるだろうが、どんな人にも場所があった。
差別は厳然と存在していたけれど、排除されることなく、場所はあった。
どんな境遇の人も認められて生きていける世界になればいいと思う。
どんな気持ちを持って生きていくか、ということが大事だと思った。
それは路上生活者だけでなく、全ての人に言えることだ。