たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

4月に読んだ本①

4月は落ち着いた時間を持てたので、せっせと読書に励んだ。
ブログからは遠ざかってしまったけれど、読書とネット、ベストバランスを見つけたいところ。

読んだ本は12冊だった。

まず7冊。

月とコーヒー 吉田篤弘

最近知った吉田篤弘さんは3冊目。題名と表紙に惹かれ、直感は大当たりでした。

3つほど読んだ後、何気なくあとがきを読み、本のサイズに納得。
単行本でもなく新書でもなく文庫本サイズでもないかわいい大きさ。手に取ってみると厚みといい、癒される質感。一日の終わりに、ベッドの上で枕をクッションにもたれながら、または寝転がりながら読むのにまったく都合良く出来ている。

題名の由来も素敵。
『生きていくために必要なものでないかもしれないけれど、日常を繰り返していくためになくてはならないもの』

お話ひとつひとつは、夜寝る前のひとときにぴったりの、清らかな静けさをたたえている。
なにもないさみしいところで喫茶店ゴーゴリ>を営む彼女が祖母のレシピから甘くないケーキを作る理由。
映写技師のミズシマに、狭く迷路のような道を自転車で毎日通って時間通りデリバリーするアオイ。
料理人アーノルドがいないシニアハウスの夜の出来事。
特別な青いインクを作る小さな工場。
トカゲ男のためのコインランドリー。
まともに話をしなくなった父と娘に起きた出来事。
などなど。

毎夜、ひとつひとつ読み進めていくと、星新一さんのショートショート稲垣足穂さんの「一千一秒物語』なんかを思い出していた。

この世界の隅の方にいる人たちの、とるにたらない物語がひとつひとつ小さな光を放ってこの世界を支えているんだと思った。

ベッドサイドの小さなチェストに常備しておきたい一冊。

月の立つ林で 青山美智子

春の十六夜を愛でつつ、爽やかな感動に包まれて読み終えた。
やっぱり大好き、青山美智子さんの世界。

もやもやしたものを心の中に抱えているとき、自分ひとりだけの力じゃどうにもならないものを感じたとき、読んで欲しいと思う一冊。

5つの物語からなるこのお話は、タケトリオキナと名乗る男性が語る『ツキない話』というポッドキャストで緩やかに繋がっている。
交わりさえ気づかないまま、ゆるやかに交わりながら、登場人物たちは、日常のなかで新しい一歩を踏み出していく。

登場人物の悩みだったり屈託は、どれもどこか自分に似通っている。
ひとりの人間には様々な側面があって、さまざまな顔があって、思いもさまざま。一秒ごとに思いは変化していくし、変化していく思いによって見える世界も変わってくる。
わたしたち一人一人の中に在る側面が、登場人物ひとりひとりの形になって現れたみたい。
そう思うと、現実世界で自分以外の一人一人も、わたしという存在の違う側面を持って現れた存在なのかもしれない。すべての根源はただひとつという。そこから分かれて生まれた、この世界のすべて。わたしはあなたの現れで、あなたはわたしの現れだ。
なんてこともふと思った。

誰だって人生や仕事に悩みを抱え、行き詰まりを感じる時はある。
そんなときって視野が狭くなり一人よがりの世界に閉じこもっていたりする。自分だけの狭い世界から見ると理不尽だったり腹の立つことがさらに増えていく。
悩みや怒りを感じる時は一人の殻に閉じこもりがちだけれど、でも一歩踏み出してみると、「実は…」ってことがあるし、本当は人が人を想い遣る温かさに包まれていたことに気付いたりもする。

その一歩踏み出す、っていうタイミングが難しかったり、どう踏み出せばいいのか分からない時もあったりするんだけど。そんな時は夜空を見上げて、月に思いを馳せるといいのかも知れない。

人生はどうしたって結局は幸せになるように出来ていく、という考え方がわたしは好きだ。
ままならないこともたくさんある。絶望し生きる意味もなくすことだってあるし、あった。
でも、人は幸せに生きるように出来ているって信じたいし、そう心のどこかで、ささやかながらでも針の先ほどでも信じていたら、その方向へ人生は進んでいくと思う。

この物語を読んで、その思いをさらに強くした。

無月の譜 松浦寿輝

本猿(id:honzaru)さんのブログで読んでみたくなった本。

奨励会に在籍していたもののプロ棋士になれなかった小磯竜介男性が、ふとしたとから太平洋戦争で戦死した大叔父が将棋の駒を作る職人だったことを知り、彼のことを調べ始める。そのなかで、大叔父が独自に書体を編み出し創り上げた幻の駒があることを知り、探索は海を渡りシンガポール、マレーシア、アメリカへと舞台が広がる。

将棋に関しては全くの無知で、ニュースで藤井聡太さんや羽生善治さんの活躍をすごいなーと思う程度。親族には鼻つまみ者だった大叔父の隠された真実、人生を追うミステリー的な要素に興味を持って読み始めた。

正直、将棋に関しての部分はちんぷんかんぷんで、流し読みになってしまったところが多いのだが、知られざる世界を知る楽しみもあった。
小磯によって少しずつ明かされていく大叔父の真実にページを繰る手が止まらなかった。
シンガポールでは先の大戦で日本軍が現地の人々にした仕打ちにもさらりと触れられており、このような事実は決して忘れてはならないと思った。
小磯の大叔父もシンガポールで戦死しているが、遺骨は見つかっていない。

現地で暮らす勝又が語る思いに深く共感した。
『あの戦争が本当に「義」のある戦争だったのかどうか、ぼくにはよくわからないけれど、しかしともかくあの当時、戦争にとられた若者たちは、少なくともその大部分は政府の鼓吹する大義を信じ命を賭けて戦った。その結果がどうであれ、彼らの死を無駄死とは決して思いたくない。そんなふうに片付けられたら、あまりに可哀そうだ。彼ら一人一人の死のおかげで、ぼくらの今この生活が可能になっている、彼らの死という礎石のうえに、僕らの生活が築かれていると思う』

わたし自身近年父を亡くし、父の人生って何だったんだろうと考えることが多かった。父の努力、悲しみ、嬉しさ、様々な行為や想いは、決して消滅していないし、この世界の、少なくともわたしたち家族の生きる基盤となっている。わたしの知らないご先祖、血縁のある人々が懸命に「生きた」ことが、わたしたちが今、無事に暮らせている礎石になっているんだと、思いを強くした。

青と赤とエスキース 青山美智子

ありきたりな感想だけど、すっごく良かった!
青山美智子作品は8作目でこの物語を読んだのだけど、一番好きかも知れない。
一枚の絵画をめぐり人々の想いや人生が交差する。

物語は交換留学生としてオートラリアを訪れた女の子レイと現地日本人のブーというカップルのお話から始まる。恋愛ものって苦手なんだよなぁと思いつつ読み始めたが、レイの臆病さはまるでわたしのようで、レイになって読んだ。不器用な二人の、不器用な恋。最近本を読んで涙するなんてことは無かったのだけど、1章のラストは自然に涙が溢れた。じわっと浮かんで、すっと頬を伝った。

青山作品らしく、物語はささやかに触れ合いながら章を重ねていく。
どこがどう繋がっていくのか、それも楽しみ。
最後の4章では、うわーそうきたか!と感動すら覚えたし、エピローグでは見たかった視点で語られた。

人の想いって、本当に上部だけでは分からない。不機嫌そうに見えていても、実は想いが溢れるあまりものすごく緊張しているせいだったり、相手を想うあまり誤解を招くような態度をとってしまったり。

真意を知らぬまま、誤解をしたまま疎遠になってそのまま、なんてことは現実世界にままあること。けれどこの物語で登場人物は、本質に触れ真意に気づくことが出来る。
人って、この世界って、捨てたもんじゃないよ。
人と人との交わりって、複雑な側面もあるけれど、素直になってみたら案外滑らかにいくものかも知れない。

澄んだ宝石を眺めたような読後感。
心がすっきりと洗われたような感じ。

読み終わり余韻を楽しみながら本の表紙、裏表紙をとっくりと眺める。
もう一度開き、プロローグを読み返す。
その言葉が重みと確かな実感を持ってわたしの言葉になった。

台所のラジオ 吉田篤弘

12の短編集なのだけど、そのどのお話にも静かな女性の声がゆるやかに台所のラジオから流れている。まるで別々のお話を繋ぐように。
別々のお話だけれど、人の行いや考えること感じることはまるで違うけれど、だけどどこかで繋がっている。まるで知らないところでわたしたちは緩やかに繋がって人知れず助けたり助けられたりして人は生きていくものなんだなぁ。

どのお話も、美味しいものが絡んでいる。

食べることは生きることだもの。

特に好きなのは、『紙カツと黒ソース』『さくらと海苔巻き』『マリオ・コーヒー年代記』『<十時軒>のアリス』。

今回も星新一さんと小川洋子さんをふと連想した。

この世の春(上・下) 宮部みゆき

久々の宮部ワールド、堪能した!
設定が江戸時代だからこその不思議、謎解き。
読み始めたら止まらなく、上巻は1日で一気読みした。

読み応えたっぷり、続きが気になって気になって、下巻も結局一気読み。

現代にも通ずる多重人格、幼児虐待、殺人を何とも思わないサイコパス
設定を江戸時代に置くことでより謎や不思議が深まり、久しぶりの宮部ワールドを堪能した。
主従関係も温かく、イヤミスじゃないところがすごくいい。

ボロボロに傷ついた繁興が医師と付き添う人々によって少しずつ自分を取り戻し、明るくなっていく様子は清々しい。
ハッピーエンドなのも良かった。