梅雨明け前なのに真夏日となった或る日。
家事や仕事の準備をしている時からその音は鳴っていて、なんの音だろう、何処かで何かの作業をしているのかな、なんてたいして気にもしていなかった。
ゴミを出しに行った時にそれは判明した。
斜め向かいのHさん宅から水が噴水のように盛大に噴き上げてる!
出窓もあたり一帯もびっしょり、水が滴っている。
チャイムを鳴らし、「え?水???」と不思議そうなおばさんを導き、水はわたしが止めた。散水ホースが古くなって根本が裂け、蛇口が開けっ放しだったのだ。
止める時に水を浴びたが、むしろ気持ち良い感じ。
それでもおばさんは「彗ちゃんが濡れちゃって。。。」とすまなそう。
周りの花木は存分に水を浴びて生き生きしてる。
少し立ち話をした。
施設にいる母の安否を気遣ってくれ、そして3年前亡くなった父の話になった。
通りに面した場所に据えてあるプランターにねじ花が可愛いピンク色の花を咲かせていて、可愛い花ですね、と言ったらこんな話をしてくれた。
父がねじ花を見て、わ、珍しい花ですね、可愛いなぁと
独特のハスキー声でニコニコしていたと。
ねじ花が咲くたびに、懐かしくそのことを思い出していると。
とても、とても、嬉しかった。
わたしは毎朝仏壇に手を合わせるので父を毎日思い出すけれど、血縁関係にないご近所のおばさんが、そんなふうに父を思い出してくれている。
父の肉体はもうこの世界にはないけれど、まだ生きてるんだなぁ
誰かが思い出すたび、時間も場所も超えて蘇る父。
思い出す人が亡くなってしまったら、もうそれも無くなるけれど、少しずつ少しずつ溶けていくように無くなる。無くなったように見えるけど、生命は繋がっていく。
血の繋がりだけじゃなく、思いもよらない、そうきたか!みたいな形で遍在し続けるんだと思う。きっと。
わたしも、亡くなったご近所のおじさんやおばさんを時々思い出す。
夏の朝、採れたてのトマトをくれたなぁ
遊んでいると麦茶を出してくれて、お砂糖が入っていて甘くてびっくりしたなぁ
どれもこれも優しくあったかい。
思い出すたび、ありがとうと思う。
そのありがとうという想いが、わたしを生かしてくれている。