たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

久しぶりの映画『ぼくたちの哲学教室』

最近映画を観に行ってなかった。
劇場に足を運んでまで観たいと思う映画がそうそうなかったからだが
好奇心や行動力が低下しているのかも。

宮崎駿さんの新作やインディージョーンズ、ミッションインポッシブルなど、以前だったら封切り前から楽しみにチェックして、すぐさま観に行っていたはずなのに。
あまり心が動かなくて。
まずい、やばい?心の老化?

で、久しぶりにお気に入りのミニシアターのスケジュールをチェックしてみた。
すると、お、待ってました!の映画が上映されていた。

行ってきた。

SNSで話題になっていた『ぼくたちの哲学教室』。

逗子のシネマアミーゴ

予約したときはわたし一人だけで、もしや貸切?なんてドキドキしたが、ほぼ満席に。

一人掛けのソファに座り、温かいホーリーバジルをちびちびと頂き、開演を待つ。良い香り。
後払い料金1,800円はソフトドリンク付き。ワインやハートランドビールなどアルコールもあり、100円の追加料金となる。

この雰囲気が好き

感じたことをつらつら書く。

北アイルランドベルファストの男子小学校で実施されている哲学の授業を2年間にわたって記録したドキュメンタリー。

北アイルランド紛争によりプロテスタントカトリックの対立が繰り返されてきたベルファストの街には、現在も「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在する。労働者階級の住宅街に闘争の傷跡が残るアードイン地区のホーリークロス男子小学校では「哲学」が主要科目となっており、「どんな意見にも価値がある」と話すケビン・マカリービー校長の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら自らの思考を整理し、言葉にしていく。宗教的、政治的対立の記憶と分断が残るこの街で、哲学的思考と対話による問題解決を探るケビン校長の挑戦を追う。

アイルランドのドキュメンタリー作家ナーサ・ニ・キアナンと、ベルファスト出身の映画編集者デクラン・マッグラが共同監督を務めた。

SNSの評判に違わず、とても良かった。

哲学というと、頭の良い学者が小難しい理屈をこねくりまわし、実生活には無縁のもの、なんてイメージがあっが、それを見事に覆してくれた。

 

わたしには、白黒ハッキリつけたがる思考の癖がかなり長い間あって、それはすごく楽に感じた。善と悪、好き嫌いきっぱり分けてスパン!と切ってしまえば、気持ちがすっきりした。そこから溢れているどっちつかずの事は理解出来なかったからか見えてなかった。

ものごとには必ず「正解」が「一つだけ」あって、それ以外の答えはダメだと思っていた。
だからいつも「一つだけの正解」を探していたし、「一つだけの正解」を答えられない自分はダメだと思っていたし、「一つだけの正解」と確信していたこと以外の答えを知ると混乱し、”やっぱり”自分はダメなんだと落ち込んだ。

人が生きていくなかで、「これだけが正しい」なんてないし、答えはひとつだけじゃないし、答えが見つからないこともある。

誰かから「これが正解だ」と教えられ、その通りに生きていくのではなく、自分で考えて、答えを探りながら生きていくのが人生というものだと気づいたのは、つい最近のことだ。

最初から正解があって、人はそれをなぞるように生きていくもんだと思っていたけれど、そうじゃなかった。

 

映画では、多感な少年たちのさまざまなトラブルに校長先生とパストラルケアの先生は根気強く向き合い続ける。

繰り返しトラブルを起こす子もいる。
でも頭ごなしに威圧するのではなく、彼らの考えをまず聞く。
途中で口を挟まず最後まで。
そして話し合う。
なぜそう考えるのか。どうすれば良かったのか、これからどうすれば良いのか。

暴力を繰り返してしまう子は、親から「やられたらやりかえせ」と言われているのだった。それを知ったケビン校長は愕然とするが、哲学的な方法で軌道修正していく。

ケビン校長も日々考え答えのない答えを探しているのだ。

そうやって、不安やわだかまりを丁寧に解きほぐしていく。

 

感情をコントロールすること。

感情気分や心は止められない。
さまざまな感情が人を人たらしめていて、人生を豊かにしてくれるけれど、暴走すると他人や自分をも傷つけてしまう。
馬に手綱をつけて上手に乗りこなすように感情をコントロール出来れば、きっともっと生きやすくなる。

そして、疑問を持つこと。
鵜呑みにせず、質問をし、議論をし、自分で考えること。

論破することが目的では無い。
議論することが大事だ。
相手の意見を聞くことで、視野が広がり、自分の意見が変わるかもしれない。
変わっていいんだ。それは負けじゃない。

 

北アイルランド、紛争地域だということは知っていたが、なんとなく知ってる、その程度だった。
街にはいまだにプロテスタントカトリックを分断する壁が存在する。
2001年には、女子小学校の子供たちが通学路で地元のロイヤリストの住民に脅迫される事件が起きている。少女たちに罵声を浴びせる住民、親に抱き抱えられながら泣きながら登校する様子が映画でも流れた。

この事件をわたしは知らなかった。
足元も大事だけど、もっと世界を知っておくべきだな、と思った。

アミーゴでの上映は一旦終わったが、今月再上映される。
もう一度観に行きたい。