たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

睡眠の改善と、読了『野原』ローベルト・ゼーターラー

今日も朝から快晴で冷え込んだ。
タイマーで点火した暖房で部屋が十分温まるまで布団の温もりを貪る。至福。

ここ最近、夜中に起きる回数が減ってきて実に嬉しい。

昨日、ククサで珈琲を楽しんでいるなんて記事を書いたばかりだが、実は珈琲をゆる止めしている。意識して止めているわけじゃなく、朝起きて一番に白湯じゃなくホットレモンを飲むようになってから、気づいたら珈琲を飲まない日が多くなっていたって感じ。

今まで珈琲を飲み過ぎていたのかも。わたしの体にはtoo muchだったのかもなぁ
それで睡眠が改善されつつあるのかも知れない。

あと、寝る時にYouTubeで作ったマインドフルネス瞑想のリストを流し、実践しながら眠りに着くのを習慣にしたことも功を奏している。

プレミアム登録しているのでCMに煩わされることなく瞑想に集中出来る。

ベッドに横になりながら行う夜の瞑想なので、そのまま寝てしまうことも。
夜の瞑想リストは、マサオくんの瞑想→マリコさんの瞑想→綿本先生のヨガ二ドラ(眠りのヨガ)で、昨夜はマサオくんのガイド途中で眠ってしまったみたいだ。最短。

夜中何時だろう、気づいたら綿本先生のヨガ二ドラ(2時間ある)の音楽が仄かに流れていて、幸せ過ぎてそのまままた眠りの海へ。

夜のこの習慣を続けて、睡眠の質がどんどん良くなるといいな。

***

今日は休みで、ホームセンターに苗を見に行き(葉ボタンの苗だけ購入)、図書館に本を返却に行っただけで、一日中陽当たりの良い自室で読書を楽しんだ。

読了はローベルト・ゼーターラー『野原』。

www.shinchosha.co.jp

Twitterで流れてきて読みたいと思い、図書館で借りた。初めて読む作家さん。

オーストリアのどこかにあるパウルシュタットという小さな町。「野原」と呼ばれている墓地の白樺の木の下、今日も一人の老人がやって来て、日がな一日ベンチに座り、死者の声に耳を傾ける。

20世紀の戦争から21世紀まで、小さな町に生きた29人のそれぞれの想いと記憶とは。

人の記憶やさまざまな感情は、人が亡くなったとき、どうなってしまうんだろう。

最近そんなことを考えていた。

というのも、2年前に亡くなった父が、嬉し泣きしている場面をふっと思い出したのだ。

何故父は泣いていたんだろう。
『嬉しいんだよぉ』と泣き笑いしていた。
威厳を保っていた父がわたしの前で泣くなんて驚いたし、同時に切ないような愛しいような複雑な思いだった。
たぶん我が息子のことだったと思う。息子が褒められたか何だかして、父が嬉し泣きをしたんだ。

父のあの涙、嬉し泣きの感情、熱い想い。
あれは何処へ行ったんだろう。どうなってしまったんだろう。

この物語を読んでいる間ずっと、父の泣き笑いが頭の隅にあった。

 

生きて、死んで、無になる。

死者たちの想いや感情は何処へいくんだろう。
生きていた時の、あんなに鮮烈な想い、確かな感情、その全ては跡形もない。

死者は語る。
『最初、私は人間だった。いま、私は世界だ。』

すべては世界に溶けて、この世界を形作っているのかもしれない。
見えなくても。感じられなくても。手に取れなくても。

死んだ人々の想いや感情、行いが、確かにこの世界を作り支えているのだ。
知らなくても。分からなくても。

 

父の嬉し涙や熱い想いはきっと、息子の生命に溶け込んでいるし、わたしの中にも生きている。初孫ちゃんの中にさえ。
無駄なものは何もない。
だから安心して、今を生きるわたしたちは、喜び、悲しみ、愛し、怒り、人を生き抜くことだと思った。