たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

冬の記憶

2月の海

組が違うご近所の家の前に救急車が止まっていてドキリとした

その家は幼馴染のKちゃんの家で、今はおばさんが犬と暮らしていて
私の先輩に当たる息子が仕事の行き帰りに毎日様子を見に来ている

おばさん、、大丈夫かな

高齢で背中も曲がってしまったけれど、口が達者なのは相変わらず
陽気で話好きなので、天気の良い日にはいつも陽当たり抜群の濡れ縁に座り
近所の人と楽しそうにおしゃべりしている

感心するのは、その社交力

道を挟んで向かい側にここ数年で新しく家が並んだ一画があるのだが
そこに住み始めた若い世代のファミリーといつの間にか仲良くなってて
ご自身の玄孫くらいの子供が庭を駆け回り
ご自身の孫くらいの年齢の若奥さんたちと濡れ縁で楽しそうに笑ってたりする

ズケズケとモノを言い、噂好きでもあるらしいので(わたしも色々言われてたらしい)
うちの母なんかは嫌な経験があるらしく、一線を引いていたけれど

母は認知症、要介護4、私のことも分かっているのかいないのか
介助なしでは生活出来ない現在となり

対して毎日犬を散歩させ、かくしゃくとしているおばさん
元気でボケない秘訣をおばさんに見た

どうか大したことありませんように。
元気に戻って来ますように。

キャンプ行きたいなー

小学生の頃、集団登校の集合場所が、そのおばさんちの前だった

あの頃は畑が広がっていて、小川が流れており
寒い冬の朝には今は亡きおじさんが道の端、小川の脇で
一斗缶で焚き火を焚いてくれていて、
全員集まるまで火に当たりながらお喋りするのが常だった

真冬は毎朝だったと思う

今思うと、薪代もかかるだろうし、ましてや毎朝のことになると大変だったんじゃないかと思うけれど

そうか昔はお風呂を薪で沸かす家がまだ多かった

我が家は私が小学3年生くらいに建て増しをして
その時にお風呂は灯油に変えた

台所の裏口のスペースに薪を焼べるストーブみたいなのがあったことを
うっすら覚えている

お隣の家は私が高校生になっても薪を割る音がしていた

昭和の記憶

 

そうそう、焚き火

どんなに寒い朝でもKちゃんのおじさんの焚き火は赤々と燃えていた
畑の霜柱をザックザックと踏みながら
ほっぺたに感じる火の暖かさ
薪の燃える匂い

おじさんはちょっと強面で、いつも眉間に2本シワが寄っていた
でも別に怒っているわけでも不機嫌なのでもなくて
笑っても眉間にシワが寄ったままなのが不思議だった

守られていたなぁと思う

こんな風に、大人たちの思いやりに知らず知らず守られて今がある

さてわたしには何が出来るだろうか