たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

食べ過ぎ三が日と、大人のおとぎ話『赤いモレスキンの女』

1月3日。二度寝をして起きたのが8時過ぎ。
慌ててテレビをつける。箱根駅伝の復路はもうすでにスタートして、選手たちが箱根路を駆け抜けていた。スタートする場面から見たかったな。

湯船にたっぷりの湯を溜めて朝湯。
のんびり正月休みを満喫する。

元旦の集まりが毎年プレッシャーになっていて、年末〜集まりが無事終わるまでは気が抜けない。やりたくてやっているわけじゃなく、あくまで兄の意向で、実家に住むわたしは任務と思っている。

今年はお煮しめの売れ行きが悪かった。これはなー毎年読めない。日記をたぐってみると、重箱がほとんど空になるほど売れた年もある。

余ったお煮しめをせっせと消化する日々。貧乏性なので日にちが過ぎ食べきれないからと捨てることが出来ない。好物でもあるしね。

今日も箱根駅伝を見ながらお煮しめをせっせとつまみ、息子夫婦からお年賀でもらったエビスビールを頂く。里芋、こんにゃく、ごぼう、しいたけ、たけのこ、昆布。塩気があるのでビールはもちろんCAVAのアテにもちょうど良いのだ。

駅伝を楽しみつつビールもお煮しめも進み、駒澤大学が一位でゴールする頃にはお腹パンパンに。く、くるしい。。どの食材も食物繊維たっぷりなので体に悪いことはないけれど、それにしても食べ過ぎた。てんこ盛りに残っていたお煮しめをほぼ完食。

きっと消化には夜までかかるだろう。今日は夕食要らないな。。。

あまりにお腹パンパンで苦しいのでゴロンと横になり、行儀悪く読書。

 

読み終えたのはアントワーヌ・ローラン著『赤いモレスキンの女』。

www.shinchosha.co.jp

アントワーヌ・ローランは『ミッテランの帽子』に続き2作目、すっかりお気に入りの作家になってしまった。

パリを舞台にした大人のおとぎ話、という形容がぴったりの物語だった。

ただリアルに、自分が事故で入院し意識不明となっているときに自分の素性を探り当て、どこの誰とも分からない見知らぬ男性が家に入り込み、愛猫を愛で、家の中を端から端まで観察し、部屋で寛いでいたなんてことが起きたなら、ショックでもうその家に住めないかも知れない。怖過ぎる。

でもまあそこはホラー小説ではないので、離婚し一人娘のいる知的な書店主が拾ったハンドバッグの持ち主を探すうちにいつしか未知の持ち主に心惹かれてしまう、ロマンチックな展開になっていく。

バッグの中はそういえば極めてプライベートな世界だ。子供の頃は母のハンドバッグに興味津々で、よく中身を一つ一つ出してバッグのポケットというポケットも全て探検したっけ。飽きもせず何度も。

物語に出てくる強盗に奪われ置き去られたハンドバッグには、同性のわたしからしてみても興味深いもの、宝ものが納められていた。

主人公と同じく一番惹かれたのは、赤いモレスキンの手帳。

 

モレスキンではなくRollbahnだが、わたしもスケジュール帳とは別に手帳を持ち歩き、思いついたこと、感じたことなど書く習慣がある。書くことで頭の中が整理される。『今』の自分を知ることが出来てすっきりする。

が、赤いモレスキンの手帳には詩的とも思えるモノローグが書いてある。素敵だ。わたしも今度、彼女のように手帳に書いてみようと思った。

 

主人公の書店主ローランがたどり着いてしまったハンドバッグの持ち主ロールの部屋の描写が素敵過ぎて何度も読み返す。
彼女の部屋はバッグにも増して魅力的。コピーや印刷ではない、本物の絵画や額縁、本、暖炉、暖炉にくべる薪。

本棚にはフランスの写真家ソフィ・カルの作品がずらりと並び、見つけるのが難しくたいへんな高値のついている『ヴェネチア組曲』の初版本がある。
フランスの作家モディアノはもちろんのこと、イギリス、スウェーデンアイスランド推理小説アメリー・ノートンスタンダール数冊、ウェルベック2冊、エシュノーズ3冊、シャルドンヌ2冊、シュテファン・ツヴァイク4冊、マルセル・エイメ5冊、アポリネール全集、旧版のプルトン『ナジャ』、文庫本のマキャヴェリ君主論』、ル・クレジオ数冊、シムノン十数冊、ジャン・コクトー『ポエジー』、トニーノ・ブナキスタ『サガ』、ジャン=フィリップ・トゥーサン『浴室』、さらには村上春樹谷口ジローの漫画数冊も蔵書の中にある。

さらに分厚い紙で作られ、小口は金で覆われた1世紀以上前のものと思われる写真アルバムも。厳選されたと思われる家族の写真。

 

ローランがロールの部屋を観察していく場面は、この物語の中でもっとも好きな場面だ。ロールの内面世界の豊かさに触れ、自分まで満ち足りていくようだ。リアルに考えると恐ろしいし気持ち悪いんだけど。

会ったこともないこの女性に惹かれていくローランの気持ちがよくわかる。けど、自分が作り上げた幻想に恋しちゃっている部分もあるだろう。実際に会って交際が始まったら幻滅するか、ますます惹かれていくかのどちらだろう。

 

物語は意外な方向に進み、最後はハッピーエンドとなる。
終わり方も素敵だ。映画のように場面が浮かぶ。

こういうお話はやっぱり幸せな結末が相応しい。読後は爽やか、読んで良かった、この本と出会えて良かったと思えた。

 

ロールは仕事も暮らしも大事に丁寧に生きている魅力的な女性だと感じた。

彼女に感化されて、本棚や持ち物を整理し厳選しようと思う。本当に好きなもの、大事なものに囲まれ、大切に手入れしながら暮らす。

当たり前の暮らしが今のわたしには出来ていなかったと感じた。反省。

写真も、今はデジタルで保管するのが当たり前だし便利だが、本当に好きな写真を写真アルバムに貼って手元に置いておくのも良い。家族があって、今の私があるということを思い出させてくれそうだ。

 

そしてパリという街にがぜん興味が湧いてきた。

歩いていける場所にいくつも書店が存在するパリ。

我が街には書店といったら歩いていける場所には2つだけ。うち一つはTSUTAYA。大型書店やAmazonに押されて、街の味わいある書店は軒並み閉店していった。その原因の一旦は買い手であるわたしにもあるのだけど、書店主の味がそれぞれ滲み出ている個人の書店はとても好きだった。

パリには露天で本を売る小さな屋台?が立ち並ぶ通りもあるそうだ。

去年の夏には『セーヌ川の書店主』というセーヌ川に浮かぶ船で書店を営む男性を主人公にした、これまたロマンチックな小説を読んで、パリ、そしてフランスの暮らしの豊かな部分を感じた。

 

このところ読書の世界でパリづいている。借りてきた残りの本も購入した本も。気にいるととことん味わいたくなる、わたしの面白い部分。

さて次は『パリ左岸のピアノ工房』を読む。どんな世界が広がっているかな。

読書三昧の幸せな正月休みである。