たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

ククサを育てている

数年前に迎え入れたククサが良い感じに育っている。

ククサ(kukusa)とは、フィンランド北部に伝わる、白樺のコブをくり抜いて作られたマグカップのこと。

たしかキナリノで知り、良さげなものをネットで探し購入した。このククサは日本製で白樺ではない木で作られているが、なかなか気に入っている。

もっぱら珈琲に使っていて、時にはギーやココナツオイルを垂らすこともある。
油はウエスまたはペーパータオルで拭き取り洗剤を使わず、お湯で”びわこ”という荒い目の布を使って洗うのが功を奏し、少しずつ珈琲色に染まっていく。

わたしの手に、唇に、馴染んでいく。

陶磁器も好きだけれど、木の温もりも好きだ。

以前結婚していた時、義父母から、もうとうに亡くなった祖父手作りのお椀をいただいたことがある。箱根細工の仕事をしていたらしい義祖父が一本の木からくり抜いたお椀。適度な厚みがあり、持つ手に心地よくフィットする生命を感じるようなお椀だった。

離婚したとき、そのお椀を連れて行くか迷った。

迷いに迷って、これは元夫の血筋が受け継いでいくものだと判断して、食器棚に戻した。

会ったことはなかったけれど、木の椀ひとつひとつに、何か神聖な想いのような祈りのようなものを感じたのだ。

あのお椀はきっと今も、元夫の家族の中で使われていると思う。元夫は気づかなくても、再婚相手の女性はそういう人だと思う。
息子がまだ幼い頃泊まりがけで遊びに行ったとき、汚れ物を洗濯して生乾きのそれをビニール袋に入れ持たせてくれた女性だ。

 

ククサを使う時にはいつも、片岡義雄の小説を思い出す。
たしか『町からはじめて旅へ』という小説のようなエッセイのような文庫本の(うろおぼえ)、『彼はいま羊飼い』の、カウボーイスタイルで淹れた珈琲。

差し出されたマグカップは、口を付けるのもためらわれるほど汚れがこびりついていたという一節を。
羊飼いが淹れてくれたその珈琲は間違いなく美味しかったのだ。

 

ククサは、まさにアウトドアで使った方が満足度が高いんじゃないかと思う。

さまざまな事情が重なり、旅に出ることもなくなった。
野外フェスやキャンプにも行かなくなった。

けれどリミットから自由になれたら、ククサを携えて旅に出よう。
野山に出よう。

焚き火の炎や木が焼ける匂いと音を味わいながら珈琲を飲もう。
またはテクノやトランスで踊り疲れた体を休めながら、丁寧に淹れた珈琲をすすろう。

じっくりと育て、愛着のあるククサはきっと、わたしの良き相棒になっているに違いない。