シュトーレンの記事を書いていて、ふと思った。
お菓子やお菓子作りって、心の豊かさの表れだな。わたしにとって。
両親共働きだったので、母はいつも忙しく子供の頃作ってもらったお菓子の記憶はない。小学生の頃、仲良くなった友達の家で、お母さん手作りのキャラメルやクッキーをご馳走になったときは正直感動した。
キャラメルって、作れるんだ!
色とりどりのセロファンに包まれたちょっとだけ形がいびつな甘〜いキャラメル。お土産にももらったりして。
友達はお母さんお手製の服も着ていたりして、物作りが好きなお母さんだったんだと想う。遊びに行くたび、お手製のシュークリーム、バウンドケーキ、シフォンケーキなんかが出てきて、遊ぶのが目的なのか、おやつが目的なのか。笑
そのお母さんは専業主婦で、いつも家にいてゆったりと構え、わたしたちの話を良く聞いてくれた。専業主婦だったからというより、多分、お母さんの性格がもともとゆったりしていて聞き上手だったんじゃないかな、と今は想う。
いつもにこやかで一緒に紅茶を飲みながら話を聞いてくれる。クッキーが焼き上がるまでのゆるやかでワクワクする時間とか。
甘い匂いと味の記憶。
中学生になると部活も忙しくなり、その友達とは疎遠になった。お年頃なので、手作りのお菓子にも挑戦してみたが、いかんせんわたしにはセンスがないようで、本を見て作ってもベタベタに甘い何かになってしまう始末。
ニキビの元だということでお菓子はいつしか食べなくなり、誕生日やクリスマスの特別な食べ物となった。
今でもお菓子はすすんで食べることは少ない。たまーにマーロウのプリンや、しっとりこってりのチーズケーキが食べたくなるけれど。
久しぶりに食べるとめっちゃ幸せを感じる。
お菓子はなくても生きていける。
でも、お菓子はちょっとした時間を豊かにしてくれる。
お菓子作りが日々の暮らしの中に自然に溶け込んでいる人は、心にゆとりがあって暮らしや人生を楽しんでいるように想う。
そのせいか、日常生活の中でお菓子を作れる人を密かに尊敬している。
伝染病が流行る前は、クリスマスや年始になると、手作りのマフィンやクッキー、ケーキをラッピングして配る同僚もちらほら居て、手作りして配る、という素晴らしい発想が出来る彼女らを尊敬すると同時に、そんな心の余裕さえない自分を恥じたものだ。
心のゆとりって大事だ。
母が忙しい人で料理嫌いだったので、わたしはずいぶん寂しい思いをした。自分がそんな思いをしたのに、大人になったらすっかり忘れてしまって、息子にお手製のお菓子とか、作ったことなかった。自分が食べないから作らなかったんだが、息子のために作ってあげれば良かったな、とたびたび後悔する。
お嫁ちゃんが共有してくれた動画で、初孫ちゃんが卵を割ったり、フルーチェを作って食べる様子を見た。
昔できなかったことを、今やったらどうかな。
息子家族が遊びに来る時に、お菓子を手作りしてみよう。
お菓子とともに家族で過ごす豊かな時間、っていう思い出を作りたい。
自己満足かもしれないけれど。