たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

108の煩悩を燃やす

忙中閑あり

師走というだけあって、駆け足で過ぎ去る日々。
ほんの少しの余白を心に残しておかないとパンクしてしまうから、そこは慎重にね。

 

特別お題「わたしの2022年

『家族』や『家族の中のわたしの役割』を考えた一年だった。それが嬉しかった。

幼い頃から家族というものに違和感を持っていて、甘えてわがまま放題しているのに、家族が苦手だった。そんなわたしも息子が家族を作り、初孫ちゃんが出来てから変わった。変われていることが嬉しい一年だった。

嬉しいことがある反面、気ままな一人暮らしを楽しみすぎて、自分に甘過ぎた一年でもあった。

甘過ぎてダラけた暮らしになってしまい、心も身体も粗末に扱ってしまったなぁ
具体的には、ついついコンビニ食や冷食に走ってしまったこと。

もちろん自炊もするけれど、作るのが面倒臭いと帰り道にあるコンビニや家から数分のコンビニにふらふらと誘われるように入っちゃうのよね。1週間毎日コンビニ食なんて時もあった。

それが続くとどうなるかというと、肥る。身体がもたついてお腹のお肉がたぷたぷ動いたりする。太腿の隙間がなくなってくる。さらに足腰が弱くなったような気さえする。

コンビニ食もファストフードも冷食も美味しいけれど、満足するのは食べたその時だけで、もっともっとと欲しくなってしまう。お腹は膨れるけれど、何か物足りなくて、しかも大量の添加物が合わないのか身体は必ず浮腫む。顔なんか酷くなる。特に目が。

そんな日が続く時期もあれば、粗食で満足出来る時期もある。波が激しすぎて極端な食生活。

そうなってしまうのはきっと満足できてないからだ。

何に満足していないんだろう。
それはきっと、今のこの自分にだ。
だから手っ取り早く食べ物で満足しようとする。簡単に手に入りすぐ食べられるもので。

じゃあどんな自分だったら満足できるのかしらん。

こんなのわたしじゃない、いやわたしなんだけど、居心地が良くない。
わたしがわたしに居心地良く、機嫌良く暮らしたいな。
初孫ちゃんや息子家族にも良い影響を与えたい。いや、与えたいわけじゃなく、悪い影響を与えたくない。

怠惰な生活から脱したいと強く思った2022年末。
2023年になってからじゃ遅い。今からアイドリングしとかないと!

ということで、108あるという煩悩を燃やすべく、ヨガのイベント『108回太陽礼拝』に参加してきた。

ひとつのポーズをじっくりと行うヨガではなく、ポーズとポーズを呼吸でつないで流れるように動いていくヨガがあり、太陽礼拝はその代表的な動き。
太陽礼拝にもヨガの流派によって様々で、コレだけが正しいやり方、というのはない。

どこから発祥したのか知らないけれど、疫病が流行る前は毎年年末年始になるとあちこちで108回太陽礼拝のイベントが行われていた。
毎年参加していたこともあったけれど、ここ数年足が遠のいていた。コロナ禍もあったしね。

で、今年は怠惰な自分を打破すべく、頑張って参加してきた。

お寺の本堂でヨガ

アシュタンガヨガの太陽礼拝Aを尊敬する柳本和也先生のカウントで行う。
”イェーカム インヘール、ドゥウェー エクスヘール・・・”
和也先生のカウントで行うと、呼吸が自然と深くなる。流れに乗って無心になれる。
声の響きも良いのよね〜

イェーカムとはサンスクリット語で1、ドゥウェは2
インヘルは息を吸うこと、エクスヘルは吐くこと
アシュタンガヨガという流派のカウントの仕方。

そういえば初めての108回太陽礼拝も和也先生のイベントだった。
和也先生の温かくおおらかな人柄とヨガが大好きだ!先生に会うと自然と笑顔になっちゃう。

腕立てのような動きが108回続くので、途中でトイレに行ってもいいし、休んでも全然OK。無理せずに、と仰っていたが、わたしは決心して行った。絶対に108回やり遂げる!ここで頑張れば、他のことも頑張れるはず。

参加者は30人ほど。
数えていないけれどだいたい30回を過ぎた辺りでゾーンに入る。呼吸と動きが連動して勝手に身体が動いていく感じ。まさに動く瞑想状態。

しかしだいたい80回くらいで途端にキツくなった。腕がブルブル震えてくるし、呼吸も浅くなる。心も折れそう。

と、最前列には一番弟子のYちゃんの姿がチラリと見え、彼女の動きに励まされる。お隣の男性は以前にもお見かけしたことがある。たぶん常連さんだ。ヨガ歴も長そう。この男性の呼吸音にも助けられた。

そして挫けそうになる気持ちを呼吸でカバーしつつ、休まず108回、やり遂げた!頑張った!

身体は汗だく 気分は爽快!

終わった後のシャバアーサナ(お休み)の至福なことといったら!

やり遂げた達成感とやれたという自信がわたしを満たす。

きっとこれから頑張れる。

 

108回太陽礼拝はもう10日以上前のことだけれど、あれから少しずつ怠惰な暮らしに変化が起きている。

煩悩が燃えたかな。

野焼きの後、逞しい新芽が出るように、わたしに何かが芽吹いたのかもしれない。
だったら嬉しい。

その芽吹きを大事に育てよう。