たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

母との面会

施設に居る母に会いに行った。1週間ぶり。

今回は息子家族も一緒。
兄とわたしだけよりも、若い世代の声とエネルギーが母に刺激を与えるみたい。

この春から仕切りなしで会えるようになり、ようやく母に触れることができた。
耳元で、体や顔に触れながら話すと反応が良い。
母にとってはひ孫の声や温もりも、母に良い影響を与えているように見える。

最高気温35度の猛暑日だったが、夕方近くの時間なので外に連れ出した。
といっても、車椅子に寝たままだ。
母はもう歩けない。

 

すべてのつまづきの始まりは交通事故だった。

晩秋の雨の日の夕方、信号機のない横断歩道を渡っている時に、前方不注意の若者の車にはねられたのだ。
幸い足首の複雑骨折だけで済んだが、手術し入院中に認知症が進んだ。

書く文字の形が崩れ、カタカナ混じり、漢字は書けているものもあるが、うろ覚えの形だけ取り繕ったようなものが増えた。
でも、見た目も話し方も態度も、以前と変わりなく。
おや?と不穏を感じたものの、いや大丈夫、退院して日常生活に戻ったらきっと元に戻るだろう。きっと一時的なものだろうと。

そこから緩やかに母は惚けていった。
済んだことだけれど、今の母の姿を事故を起こした男性に見せてやりたい。
お前が轢いたせいで、歩きに支障が起き、母は引きこもるようになった。人と会おうとせず、認知症がどんどん進んでいったんだと、お前のせいだと罵倒したい。

ううん、そんなことしたって意味ないこと。

罵倒したいのは、自分自身なのだ。
おかしいなって感じてたのに、「あたし何だか変なんだよ」って母も言っていたのに、じゃあ病院行こうか?
嫌だよ。いいよ、行かないよ。
無理矢理連れて行ってもなぁと先延ばしにしていたのはわたしなのだ。

現実を直視するのが怖かったのだ。

鬼娘とは、わたしのこと。
罵倒したいのは、鞭打ちたいのは、わたし自身。
お前のせいだと指差している先にいるのは、わたしなのだ。

 

ふっくらしていた母だったが今は痩せてしまった。脳が萎縮し手足が捩れ、介護用クッションは体の一部となった。
そんな母に会うたび、心臓がぎゅっと掴まれるような気持ちになる。

母にとって孫家族の明るい幸せに満ちたエネルギーに触れてもらうことで、ほんの少し、罪滅ぼしをしているような気になっている。

 

昨日は公園の一角、日陰を目指した。
兄が持ってきたモンベルの晴雨兼用の傘を息子が母にさしてくれ、わたしは上の孫を抱っこして歩いた。

ムッとする夏の空気、肌を撫でる風、屋外では感じられない光、周囲の音、道を行く車椅子の振動などが、母の感覚を呼び覚ましてくれているみたい。
施設でも外に散歩へ連れて行ってくれているが、大勢の家族に囲まれて子供の声が賑やかにする中に母が居るのはさらに良い気がする。
わたしの自己満足だけかも知れないけれど。

生後6ヶ月の2番目の孫が大きな声で泣いたり、上の孫が引っこ抜いた猫じゃらしで母の顔を撫でたり。
いつも閉じっぱなしの目が前回よりたくさん開いて、家族の顔を一生懸命見ていた。
白内障が進みかなり白くなった瞳、どこまで見えているのか分からないけれど、それでも見ようと一生懸命見開いていた。

幼な子のパワーってやっぱりすごい。

兄も、俺たちみたいな年寄りだけの時より反応が良いな〜と嬉しそうだった。

お母さん、頑張って。まだまだ生きて。
だって恩返し、出来てない。
ありがとうって伝えきれていない。

 

本当ならいつでもさっと会いに行きたいが、未だ面会は予約制、時間は20分。
入居者一人につき、面会予約は1回のみ。
面会が終わってから次の予約をするので、希望日が埋まっていて、間が開いてしまうこともある。
抵抗力・免疫力が低下している高齢者の施設なので、用心深くしなければならないのは理解できるが、もう少し何とかならないかなぁと焦ったく思う。