たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

母の入院

日曜日、仕事に向かうべく準備をしていたら兄から電話。
今出かけるところだと焦って対応すると、暗い声で施設に居る母の体調が悪いのだと言った。
38度の発熱、食べない飲まない、問いかけにも反応しない。
普段も反応が薄い母ではあるので、意識不明の重体、というわけではなさそう。

医師が来るのは月曜日、それまで医療的な対応が出来ない。救急搬送するかどうか、家族で決めて欲しいと施設から。どうする?

入院となると、安心だけれど反面、院内感染など心配な部分もある。手厚い介護も期待出来ないだろう。でも、高齢で免疫力も落ちている母、容態が急変しないとも限らない。飲食できないとなると脱水症状も心配だ。
兄と相談して、救急搬送、入院ということに決めた。

間の悪いことに、兄も仕事先にいて、わたしも急には休めない。対応を兄に任せ、後ろ髪引かれる思いで仕事へ行った。
道中、どうしても母のことを思ってしまうが、ここは切り替えて仕事の段取りなどに集中、そして仕事中は自分でも驚くほど明るい声と心持ちで業務をこなせた。

心配ではあるが、不思議と心が明るい。
この入院で母の生死に関わるような深刻な事態にはならないだろうと思った。
何故なら、過去にも同じような経験があったから。

父が目に見えて衰え体調が悪くなった時、兄は覚悟したそうだが、その時わたしの心持ちは明るかった。確かに状態は悪いが、大丈夫。
今の心持ちと同じような明るさがあった。

実際、その後父は回復し、二年後天に召された。

わたしは自分のこの第六感的な直感を信じたい。

父は2019年の年末、体調が悪化して入院することになるが、その時はどうにも心が重かった。病院のソファに座って待ちながら、気持ちが塞いで仕方なかった。きっと大丈夫、と気分を変えようとしても無理だった。大丈夫、と心の中でつぶやきながら、心はどんどん重く沈んでいった。

だから。
今回も直感を信じている。
親子だから、繋がる部分があって、そこで分かるんじゃないか。
母の生命の火はしっかり輝いていて、まだ消えないと、感じているんじゃないか。

兄は半休を取り、病院に駆けつけてくれた。
仕事先から近いので行こうとしたら、もう医師と話が終わったし、面会は出来ないから来なくてもよいと連絡があった。

熱は37度代まで下がり、検査の結果、今のところコロナでもインフルエンザでもない。
血液も内臓も綺麗で、白血球の数も正常値。
ただ脳の萎縮が進んでいると。まぁ認知症だからそれは想定内。
当直の先生が診察をしてくれたので、月曜日、担当医師と治療方針等が決まる予定。

平熱が続き体調も回復し、呼びかけに応じるようになって年内に退院、というのがわたしの希望的観測。
元旦には皆んなで会いに行きたい。

お母さん、頑張って。生きていて。