今年は父が亡くなって3回目のお盆だった。
疫病による行動制限がない夏だけれど、家族の判断で集まりはせず、各自でお墓や仏壇にお参りするという形に。
去年は内輪の親族だけで集まり、食事の後に母に会いに行けたのが、今年は母が入居する施設でクラスターが発生し、ガラス越しの面会さえ出来なくなってしまった。幸い母の居住するエリア以外で発生したクラスターなので母は無事。会えない今、その情報だけが救いだ。
親族の集まりがないのは寂しいようでホッとする部分もある。ふだん一人暮らしなので、お盆や正月の集まりでたくさんの食事を作るのがちょっと重荷だったりする。食費もその月だけは2倍以上計上しとかないといけないしね。
迎え火の13日は台風襲来で、雨風がひどくなる前に早めに焚いた。
供花には、今年も庭のあちこちに揺れる白百合を混ぜた。
小さくなる迎え火を眺めながら「これでお父さんも帰ってこれたかな」と兄がつぶやく。
お盆の期間、何か気配があるかなとか思うんだけど、何にもないんだよね
「え、そんなの怖いじゃん」
怖くないよ、だってお父さんだよ
他愛もない兄妹の会話、父は聞いたかな。
精霊棚の飾り付けは、去年と一昨年の写真を見ながらしたけれど、ちょいちょいウッカリがあった。水の子はもう少し閼伽水が必要だった気がするし、そうめんを供えるのを忘れた。猛暑やら台風で近場のスーパーで供花と夏野菜や果物のお供えを揃えたのだけど、品質と種類がイマイチだったかも。。。
来年は少し離れたスーパーで買うことにしよう。メモ。
中日には仕事が午前中だけだったので帰りにお墓参り。兄が掃除をしてくれていたので、ぴっかぴかだった。暑さでお花がしおしおになっていて、冷たい水を足した。ついでに同じ墓地にある祖父と祖母のお墓にもお参りを。
送り火は、わたしは仕事で帰宅が22時を過ぎる日だったので、兄が済ませてくれた。帰宅すると玄関前のほうろくにオガラの燃えた跡が見えて、ああお父さん行ったんだな、としみじみした。
集まりはなかったけれど、息子家族を呼べば良かったなとか、お団子も供えようとか、来年への反省いろいろ。
わたしはいつまでこの家に居るのかな。来年はどんなお盆を迎えているんだろう。
昨日と変わらない今日であって欲しいと思うし、庶民が暮らしやすく生き易い世の中であって欲しいと思う。
花火大会も盆踊りもなかった2022年のお盆はこんな感じ。