1月29日午後9時35分、新月を迎えた。
29日の夜に新月になるから、29日を新月として捉えるのは間違っていないけれど、なんとなくモヤモヤしてしまう、今日のわたしなのであった。
だってすっかり新月になるのは夜9時半過ぎであって、その前は新月になってもいないわけで。その瞬間、それを過ぎてからが新月の時間であるのだから。
と、いつになくこだわってしまうのであった。
こだわってしまう自分が面白過ぎて、なぜなぜ?と内面を深掘りするも、特段理由はなく、ただ感覚的なもの。
しかしこの感覚的なものは侮れなくて、無視するべきものではない。
無視すると、不思議と心や体に何か「わだかまり」が残ってしまうのだ。
感覚的なものなので、エビデンスはおろか、理由すらもない。
テレビもネットもニュースはガチャガチャとうるさく、肝心なことを上手に隠されているようで、信用できない。っていうか、どんな媒体でも基本的にニュースを信用しておらず、エンタメとして見ている自分に気づ気、ははぁと思った。
新月の瞬間を過ぎてから新月の願いを書いた。
鎌倉を離れ更年期鬱になってからこの習慣からは離れてしまったが、ここ数年また復活している。書くことで、今の自分や、本当に願っていること、実現させたいことが明確になるからだ。
かなり前、新月の願いで書き出したことは半数以上が実現していった。
例えば、大好きな鎌倉に住むこと、年の1/3をインドで過ごすこと、インドで真理を学ぶこと。
実現はしたけれど、継続はできていない。
継続していきたいと今は思う。
出会えた、少しでも触れることができた、その先を。
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