たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

突然の旅立ち

5月31日、午後。
長期療養型病院に入院していた母が、とうとう旅立ってしまいました。
一昨日通夜、昨日葬儀を無事に終え、今は呆然としています。

気配は、微塵もなかったのです。

体調がちょっとでも悪化すると病院から連絡が入りますが
前日までnothing。

わたしが母に会ったのは2週間前でした。
病院は不便な場所にあり、電車とバスの半分以下の時間で行ける自転車で行っていました。(看護師さんに言ったら驚愕していて笑った)
先週の水曜日は天気良し、風も穏やかだったので会いに行こうとしたのですが、関わり合いになりたくない、顔を見るのも嫌な気持ち悪い奴が道路を挟んで我が家の前で作業をしていたので、止めてしまったのです。

わたしがコソコソする必要は全くないのですが、とにかく顔を見るのも気配を感じるのも嫌なので止めてしまった。
今思うと、そんな自分勝手な理由で諦めず、頃合いを見計らい拒否オーラ全開にしてでも行けば良かった。

医師からは、栄養点滴の状態で持っても1年、でもいつ容態が急変するか分かりません、転院している最中や転院直後に急変する場合も考えられます、と言われていました。

でも、転院した時は、悪くなるどころか刺激が良かったのか、意識もはっきり簡単な会話が出来、目力も戻って、ホッとしたのでした。
その後は、会う度に寝ている時間が増え、視線も合わず、問いかけにも答えなくなっていたものの、顔の色艶はとても良く、呼吸も安定していたので、この冬が危ういなぁと思っていたところだったのです。

こんなに急変するなんて。

病院から連絡があったのがお昼過ぎ、熱があって体調が悪化しました、時間が過ぎても大丈夫なので今日中に来てください、から、呼吸が弱くなりました、すぐ来れませんか?に変わってすぐ、呼吸が止まりましたが心臓は動いています、そして、心肺停止の連絡。

畳みかけるように変わり、あっという間でした。
最初の連絡で、わたしだけでもタクシーを飛ばしてすぐに行けば良かった。
そんなに切羽詰まった調子じゃなかったので、兄を待つことにしたのです。

先週の今日は、母はまだ生きていたんだなぁと思うと、苦しくなります。
毎朝、仏壇の父に向かって「今日もお母さんを守ってね、まだ連れて行かないでね」って祈っていたのに。。

父が亡くなって4年、寂しくなっちゃったのかな。

もし何も処置しなければもっと早く逝ってしまったかも知れない。
強い栄養の点滴を体に入れ、ただ寝ているだけ、ただ生きているだけの状態が母にとって幸せなのか、これで良いのか、悩んでは打ち消し、悩んでは打ち消し。

どんな状態でも親が生きている、目に見え手で触れることが出来る状態で存在している、それだけで安心感がありました。

まだ逝かないで、心の準備が出来ていないのよ

完全なる子供のエゴですね。

わたしは母が望むような娘に育たなかったので、辛辣な言葉や仕打ちをされたこともありました。その一方で、何の不自由もないように、母なりの愛情を持って育ててくれた。

お坊さんから、お母様の思い出を教えてくださいと言われた時、こんなことをされた、あんなことを言われたと嫌だったことしか思い浮かばなかったけれど、今は楽しかったこと、嬉しかったこと、不器用な母なりに愛情を注いでくれたあれこれが思い出されるのです。

 

 

 

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