たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

冬至のおみくじと夕空と

午前中の強い雨も止み、午後からは青空が見え晴れてきた冬至の午後。
お正月を前に、今年最後のヘアサロンへ行った。

ここ数年お世話になっているTちゃんのお店は鎌倉にある。
予約した時は、早めに行ってなると屋で葛とじうどんのランチでも頂こうと思っていたのだが、ついついのんびりしてしまい、中途半端な時間になってしまった。

ランチはまたの日にして、八幡さまへお詣りへ。

雨上がりの段葛を歩く。
桜の古木が一斉に伐採されてしまい、整備されたときにはかなりのショックを受けたが、新しい桜の木は順調に成長し、見上げるほどになった。
まだまだ冬は深まるが、たくさんの蕾の膨らみにハッとする。

人の思惑や企みに関わらず自然は巡る

午前中は雨だったので人出も少ないかな、と思いきや、遠足なのか修学旅行なのか、小学生らしき集団がそこここに。微笑ましいが、段葛の横幅いっぱいに広がって歩いて向かってくるのでムッとした。付き添いの先生?添乗員?も何も注意しない。学生の頃はわたしもそうだったな、と思いつつ、だが避けることはせず彼らの真ん中を突っ切って行く。

手水で小学生がわいわいふざけて騒いでいる。12月の今、遠足やら修学旅行やらになっているのは、疫病のせいだろうか。
この季節であれば、このような集団に遭わないと思っていたのだが。
ここは神域だよ、ふざけない!
って言ったら全員が固まった。

わたしはまるで”いじわるばあさん”のようだわねーと内心痛快に思いつつ、その中でお清めをし、神殿へと歩みを進めた。

毎週欠かさず観ていた『鎌倉殿の13人』はこの前の日曜日、最終話を迎えた。段葛を歩いている時も、そして境内を歩いている時も、義時や実朝、公暁など、ドラマに登場した鎌倉時代初期に思いをはせる。

2010年に倒れてしまった大銀杏の子孫もすくすくと育っていた。
それが嬉しくてスマホカメラのシャッターを押した。
はずなのに、不思議にも写真は撮れていなかった。

お詣り後、おみくじをひく。
『吉』。

お告げが心に響いたので結ばず、持ち帰ることにした。日記帳に貼り付けて、何度も読み返そう。

境内をうろうろしていたら、ご夫婦らしい観光客の方が写真を撮っていたので、お二人を撮りましょうか?と声かけしたら、英語で返ってきた。見た目が日本人だったから、お、と思う。あぁ海外からの観光客が増えて来たんだなぁと嬉しく思った。

いじわるばあさんにも懐深く受け入れてくれる八幡さま。
すがすがし。
が、実朝が討たれるのも見てきた道なのですねぇ。。。
清々しいと感じてしまうってことは鈍いのかしらん。

御朱印は残念ながら今もってこのような様式です。
筆運びの鮮やかさを息を詰めて見守る、あの方法に早く戻って欲しいと切に願います。

 

地元に戻りましたら、夕空が美しく、しばし見惚れてしまいました。

このような場面にありがち、口をぽかんと開けてました。
ひどい。
とは思うものの、我を忘れて見惚れちゃいます。

 

冬至は、自然界に陰のエネルギーが満ち満ちるとき。
そして陰が極まったとき、陽に転ずる。

陰極まって陽に転ずる

一陽来復

以前は、冬至の日、一日中気分が落ち込み誰にも会いたくなく引きこもっていた時もある。

今年はそこまで落ち込むこともなく、ダークサイドに堕ちることもなく、過ごすことが出来てほっとした。

でもヘアサロンの後、鎌倉のスタバに寄り珈琲と読書を楽しもうと企んでいたのだが、無性に帰りたくなり、寄り道をせずに帰宅した。暖かく静かな部屋で落ち着きたくて。

実際、帰宅後はロイヤルミルクティーを淹れてゆっくり飲み、陰ヨガをしたあと瞑想をした。無音の部屋の中で気づいたら2時間経っていた。

 

今年の冬至は朝6時台に冬至の瞬間が来たそうで、だから気分の落ち込みが柔らかかったのかなと思った。
外出できないほど鬱になることもあったので。

冬至は一年で一番昼間が短い日。

とはいえ誤解が多いのが、昼間が一番短い日ではあるが、今日を境に日暮れが遅くなるわけでも朝が早くなるわけではない。

日暮れが一番早い日は12月初旬、冬至の今頃は今月頭よりも遅くなっていて、日が伸びたな〜と感じるし、逆に朝はどんどん遅くなっている。

冬至を過ぎると夜明けはどんどん遅くなり、日はさらに伸びて行く。
そして1月初旬を過ぎると、朝も少しずつ早くなり、日暮れもさらに遅くなり、昼間の時間がちょっとずつ長くなっていく。

この時期の、朝の暗さも楽しもう。

そんな余裕ができてきた、心の柔軟性が高まったことが何よりも嬉しい。

更年期鬱ももうすぐ脱却できそう。
明るい気持ちの、2022年の冬至である。