たわむれ日記

たわむれに いろいろ書き散らします

萩尾望都の繊細で美しいSFの世界

今週のお題「SFといえば」で今日も書いちゃう。

「SFといえば」でハッと思い出したのが、萩尾望都さんの漫画。
時々思い出したように読みたくなる『百億の昼と千億の夜』と『銀の三角』。

百億の昼と千億の夜』は光瀬龍氏の原作を漫画化した作品で、1977年〜78に週刊少年チャンピオンに連載されていた。連載当時を知らないが、友達の本棚で見つけ、題名に惹かれて借りて読み、衝撃を受けたのを覚えている。鮮烈な印象が忘れられず、平成に入ってから文庫本を買った。

ウィキペディアによると、原作は1965年〜66年にSFマガジンに連載されていたという。なんと57年前!けっこうな昔だけれど、古臭い印象は今もない。むしろ歳を重ねるにつれ、この物語の深淵さに感じ入ってしまう。

アトランティスの滅亡、ナザレのイエスの奇跡、天上界の荒廃…それらはすべて惑星開発委員会に関係し、“シ”と呼ばれるものにあやつられていた。幾百幾千幾億の昼と夜にわたり“シ”と戦う少女・阿修羅王! ー萩尾望都作品目録より

人間とは、神とは、存在とは何なのか。

夜、眠る時、まぶたの裏の星雲を眺めるという一人遊びを物心ついた頃からしている。
まぶたの裏に繰り広げられる、アメーバのように様々なカタチに変化し続ける色とりどりの光を眺めるのだ。

最初はぼやーっとした色とりどりの粒みたいのを、「これが細胞かなぁ」なんて見るともなく見ていると、奥の方からウゴウゴとやって来る星雲みたいなもの。
片時もじっとしていない、常に変化してく星雲。もっとよく見ようと集中すると逃げてしまう。眺めていると、どんどんと不思議な気分になってきて

私はわたしで、
わたしが私、私がわたし、わたしはわたし、ワタシは私・・・???
わたしって、なに?
なんでここにいるんだろう?
ここにいるって、何?
いる?
私がわたしと思って、居る?
わたしと思っている私って??

この、私、って感じている思っている私はどこにいるんだろう。
心って、どこにあるん?魂って、どこにある?
この寝ている体のどこかにある感じはなくて
かといって、脳に居る、っていう感じもなくて
身体でもなく脳でもないところに在る、確かに存在するわたし、という意識。
わたしって、どういうこと?

なーんてことを子供の頃から思っているので、この物語にハマってしまったんだと思う。

萩尾望都さんの描く繊細で中性的な感じの絵もぴったりで、時々この世界に入り込みたくなる。
そうだ原作、読んでみようかな。

ja.wikipedia.org

 

銀の三角』は1980年〜82年にSFマガジンに連載されていたもので、これもコミックスになってから読んだ。残酷な場面もあり、難しい内要ではあるのだけど、彼女の繊細で美しい絵がうまく中和し調和し、引き込まれるように物語の中に入っていける。

6年に一度の朝を迎える惑星『銀の三角』。そこに住む民人は長い金虹彩の瞳を持ち、近未来を予言する音楽を奏でることができた。だが、彼等は特殊な能力を持つがゆえに、星系の惑星戦争に巻き込まれ、星系の消滅と共に絶滅したと伝えられていた。しかし、それから3万年後、絶滅したはずの銀の三角人がなぜか再び姿を現す―。過去から未来へと時間移動の能力を持つ時空人・マーリーの遙かなる時空をめぐる謎解きの旅が始まる。

銀の三角の住人たちが奏でる音楽は、どんな音で、どんな旋律で、何を謳っていたのだろう。彼らの歌声は、言葉は、どんな音とバイブレーションを発していたのだろう。かつて聞いたことのない音で、言語で、波動なんだろう。聞いてみたい。浸ってみたい。

そして、時空を彷徨うラグトーリンの奏でる音は?
彼女の音はどんな波動なのだろう。。。
きっと魂を震わせ聞いた人を虜にしてしまうに違いない。

フィクションと分かっていても、星空を見上げるとき、銀の三角のような天体がこの宇宙の何処かに存在していて、惑星間や次元を行き来するような世界が在るかもしれないと思うと、身体の境界線が無くなり、意識だけがぱーーっと無限大に広がっていくような気分になる。

そんな気分を味わいたいがために、萩尾望都さんの世界が恋しくなるのかもしれない。

***

彼女の作品は「ウは宇宙船のウ」「半神」「A-A'」も持っていたはずが、どこを探してもないので断捨離してしまったのかもしれない。もったいないことをしたなぁ
んで、検索してみたらアマゾンで中古本を見つけることができた。さっそくポチしてしまった。届くのが、楽しみ。

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最後にちょっとだけ、他の方のエントリーにもたくさん登場していた星新一さんについて。
星新一は中学生の頃、歳の離れた兄の本棚で見つけ、夢中になって次々と読んだ。初めて触れるショートショートの世界。サクッと読めて、風刺が効いていたりちょっぴり怖かったり。

今でも電車に乗ったり都会に行くと、とある一編を思い出す。
その世界では、目につくところはどこにでも広告の映像が流れ、ひっきりなしに広告の音が流れている。
夏休み、ベッドに寝っ転がって読んでいて、読み終えた時、こんな騒がしい世界は絶対に嫌だー!最悪じゃん。。。って蝉の合唱を聞きながら強く思った。

のに、今まさにそんな世界になっている。
電車に乗れば、ドアの上のみならず網棚の上にまでモニターが並び、四六時中CMを流しているし、都会を歩けば、大画面映し出されるCM、四方八方から聞こえてくるCMや売り込みの大音響。

どんなふうにして映像を流すというのだろう、と想像もつかなかったけれど。

怖いな、と思ったのが『おーい でてこーい』と、『生活維持省』。

『おーい』は、台風が去ったある日大きな穴を見つける。おーいと叫んでも声が吸い込まれるだけで、どうやらそこは底無し。すると人々はありとあらゆる都合の悪いものをその穴に捨て始める。悪い点数のテストといったカワイイものから、果ては原発のゴミまで。この穴のおかげで世界はキレイになった。そんな平和なある日、空から「おーい、でてこーい」という声が。。。

生活維持省』は、強盗や詐欺、あらゆる犯罪がなくなり、静かで広々とした中でほとんど働かなくても良い社会。この世界を維持するため、人口を一定に保つために政府が決めた方針とは。。

この2編とも文庫『ボッコちゃん』に収められている。

別の文庫の後書きに、実はこの世界は星新一が創り上げた世界で、何事も全てかれの思い通りの世界、自分でさえ彼の作り物かもしれない、とあり、それを読んでなお不思議な気持ちになった。

最近になってNHKBSで『星新一の不思議な不思議な短編ドラマ』というのを放映しているのを知った。だいぶ前から放送しているらしい。この時間はまだ帰宅していないので知らなかったんだ。うー、観たい。

 

今週のお題「SFといえば」